六月二五日。
二二歳の誕生日を迎えた私は、長野県上田市の無言館にいた。
雲が空を覆い、薄暗く、今にも雨が降り出しそうだ。
大学近くの喫茶店主が経営しているというこの美術館に、私はどうしても足を運んでみたかった。
ここには、戦時中に兵隊として戦地に赴き、そのまま死んでいった名のない画学生たちの遺作が数多く展示されている。
一枚の絵が私の心をとらえた。
それは千葉県の浜田清治の「あじさい」だった。
彼は27歳の若さで命を落とした。
色はなく、ただ大きな線画だった。
よく見ないことには何の花かがわからない。
花弁は小さく、そして少ない。
花というよりも、あじさいの茎や葉や根元の方が生々しく描かれている。
私はそこに立ち止まったまま、なかなか次に進むことができなかった。
その線のタッチを目で追いかける。
館内の静けさが私の気持ちをよりいっそう高揚させた。
六月の湿った土をしとしと踏みながら無言館を後にした。
三時間ほど歩き、別所温泉にたどり着くと、ある民家の老人が腰を大きく曲げて、あじさいの根元に何かを置いている。
「これはねぇ、肥料を食わしてやっとるのさぁ。大きな花をつけてほしいからねぃ」
何をしているのか尋ねると、老人は目だけで私を見上げ、こう話した。
しわしわの彼の腕は、か細いが力強く土をなでる。
ふう、とひと息ついた時、彼の細い目はもっと細く、優しくなった。
無言館で見た「あじさい」。
愛する家族を遺し、祖国を発つ前に、浜田は美しい花の支えとなる茎や根を力強く描いたのかもしれない。
それは、別所温泉で出会ったあの老人の優しい目のように、浜田を支え、その遺作を大切に守った家族の想いを想像させる。
誕生日のこの日に、どうしても無言館へ行きたかった。
私は、戦争の悲惨さ、むごさを感じたかったのかもしれない。
それを知ったつもりになって、成長しようとしていたのだろう。
しかし、私が上田で見たものは、いつの時代にも存在しうる、雨に負けない強さと、その背景にある支えだった。
梅雨の季節。
私の心には、あの「あじさい」が浮かんでいる。
1 件のコメント:
はじめまして。
今日無言館に行き、あじさいの絵に釘付けになりました。
良いですよね。あの絵。
欲しいと思いましたもん。→ちょっと表現が微妙ですが(笑)
浜田清治、あじさい、で検索したらこちらにたどり着きました。
同じ気持ちの人がいて嬉しかったので。
名古屋のアラフォー女性より
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