2007年8月3日金曜日

『善き人のためのソナタ』


最近波乗りジョニーにはまってます。 アデオに行って知った!
もっと大きなカテゴリーで言うと、高級な豆腐にはまっています
外食するなら高級な豆腐(1丁150円くらい)を楽しんだほうがいい気がしてきました安!

とってもとっても感激してしまいました。
『善き人のソナタ』を見てきました。
http://www.yokihito.com/



~すとーりー~
東西ドイツ統一5年前(超すごい!この設定!)の東ドイツの物語です。当時の東ドイツには、シュタージと呼ばれる強大な監視システムを担う監視者がいました。監視、共産主義に背く人々の言論を押さえることなので、つまりそれは思想の監視だと思います。あるシュタージュはとある芸術家を監視しだします。国家のため、社会主義のために彼は当然のこととして芸術家の私生活を聞き続けます。しかし、盗聴器から聞こえる人間味にあふれた言葉、交わされる愛、美しいソナタ。
「この曲を本気で聴いたものは、悪人にはなれない」
次第に、シュタージュの内面に変化が現れだすのです。


~思ったこと~
まず、考えたのが、「自由」ということ。
自由とは「考えられる」「思想の自由」なのであって、
人はこれがないことには満足しえないのだろうと思いました。
それはこの作品の中にもいろんなキーワードとしてあらわれていると思います。

芸術、セックス、自殺、盗聴

東ドイツでは自殺者が増えすぎたためにその数を数えなくなり、
自殺者のことを「自己殺人者」と呼んだそうです。
自分で死を迎える能動性を否定されるのです。
それでも、自分の意思でできる【自殺】があるからこそ、思想を規制された多くの東ドイツの人々が自殺していったんですね。

ぞくっとします。

気になるのはセックス。
この映画には結構この場面が出てくるんですが、私はこれも芸術と並んでキーワードなきがしています。

それはパートナーに対する愛の表現であって、数字や定義されたものでない曖昧な人間らしさ。
(人間らしさって言葉って、曖昧でなんだか逃げみたい~まいっか~)
娼婦との無機質なセックス場面もあるのですが、両者はとても対比されていてその違いがくっきりしている。

辺見さんが「単独者」について語っていました。
人は共同体からはなれないことには主観的に考えることができなくなってしまうのだと。
単独者とは「自己」のことだと思います。
自分で考えることがないから大きいものに流される。
断固とした拒否をすることができない。
そうであってはいけないから、単独者でありなさい、と。

きっとこのシュタージは共同体内にいることに何の疑問ももたづに生きてきた。
国家のために生きることが自分の幸せだと信じてきた。
でも、芸術家と出会うことで初めて彼は「単独者」
になろうとした。
にゃ~~~~~~~ん泣けるねぇ・・・
なんだかどこにやられているのか曖昧だけど、私、こういうのにすっごく弱い~・・・



そしてもうひとつ、この「時代性」
パンフレットによると、この時代は今の今まで誰も言及できなかったくらいタブー視されていたものだそうです。
まるで「1984」でえがかれている管理社会。
ビックブラザーズ!!
本当にこんな時代があったのならば、
この時代は後世に伝えなければならないって思います。
管理する、管理されるということは、思想の弾圧、人間らしくあることの否定にまでつながるのだと語っていかなければならないんじゃないかな。


どこまで「リアル」を想像できるのか。
これも辺見さんの話からだけど、
たとえば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。
この映画には死刑執行のリアルさが事細かに描かれている。
人が死ぬとは、頚骨が折れることであり、汚いことであり、泣き叫ぶものであり、体を固定されるものであり、
こういう想像力のなさは世界のゆがみをつくってしまう。
ゆがみはいつの間にか広がって気がついたらもう取り返しがつかないところにきてしまう。
だから想像しなくちゃいけない、同時に歴史も学ばなくちゃならないんだろうな~


『1984』が好きな人には是非『善き人のためのソナタ』をおすすめ
だって舞台が1984年で絶対にかけてあるんだもん!(誰もパンフレットのなかでいってなかったから不安だけど・・・)

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