クリスマスに、仕事で仲良くなったお菓子屋のおじさんから
輪島で塗師をしている赤木明登さんという方の「美しいもの」っていう本をもらいました。
今さっき読んでいて、けっこういい本で、いろんな思い出とか記憶とか、思い出してしまいました。
そこで思い出したことの一つが今年の春、インドネシアのギリ・アイル島っていう小さい島で出会った島の男の子との話でした。
たぶん年は同じくらいの子で、夜、亀が海で産卵するっていうので一緒に見に行きました。
で、海岸線を歩きながらいろいろ話しをしていました。
たぶん、あれは満月だったんじゃないかなーー、と思う。
亀が産卵するような夜だし。 とりあえず、めちゃめちゃ星がきれいで、
月の光がとても明るくて、 波が光っていました。
海の中にはプランクトンがたくさんいて、手に取るときらきら光るのを見て笑いました。
で、まぁ結局亀にはあえなかったんだけど、 しかもこのロマンチック具合は全く関係ないんだけど、 笑
いろいろ話していて、
「なんでマンゴーって黄色いと思う?」 と私は聞きました。
唐突だけど、この質問は大学時代の英語の時間で私が気に入っていたディスカッション内容だったので、ふと聞きたくなりました。
かれはこう答えました。
「えっ!??マンゴーって赤色でしょ?」
すごくいい答えじゃないかなって思いました。
一つは 私が感じている赤とか青とか白とかっていう色は 国や文化や歴史や、いろんな環境の中でその定義が異なってくるっていうことを表しているって思うから。
私が黄と呼んでいる色は他の国の人には、または他人にとってはにとっては赤であり、また、しろでもある。
そしてもう一つは 私が見ている色は必ずしも絶対に黄ではなく、 同じ色を見ていたとしてもだれかにとっては、私の目を通したときに赤になっているのかもしれないっていうことを思い出したから。
例えば私の父親は色弱でオレンジっぽい色が私のようには見えないそうだけど、 彼自身が感じるオレンジ色って言うのはやっぱりそれでもあるわけで、 そのとき私と彼が感じている「オレンジ」という色はおそらくきっと違ってくる。
同じように、 私が思っている、信じていることや言葉の定義も 必ずしも絶対的な物ではなく、環境の違いや見ている目線によってめちゃめちゃ大きく変化してくる。
これは赤だ 白だ 黒だ と決めつけるのではなく、 なにかを表現していたら、だれかの解釈にまかせてしまう。
答えを預けてしまう。
あかでもいいし
白でも
オレンジでもいい
っていうふうに。
それって優しいことだなと思う。
自分の考えを押しつけたり、 誰かの声を聞かないのではなく、 任せてしまうというのは 悪くないと思う。
この本「美しいもの」も美しいものを強制しなくて、強制しない人とかものとかがたくさん出てきて、 そのときの情景をふと思い出してしましました。
「いつもの道を歩いて
ちいさな花をみつけた
今朝
すべてがあまりに美しいので
この花を君にあげよう
理由もなく何かを美しいと思うこと
僕はそのことにただ感謝しているんだ」
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