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2012年3月11日日曜日

臨月

(2011年11月オーストラリア)

臨月。
もうすぐ産まれてくるのかな?
お腹にいるということが、とても不思議。
定期的にお腹がびくびくするときは、しゃっくりしているのかな?
左から右へ、右から左へお腹を持ち上げているときは、ぐるっと回っているのかな?
お腹をノックされると、とても満たされた気持ちになって笑ってしまう。

震災の時は、私みたいに臨月の妊婦さんも、いまにも産まれてこようとしている赤ちゃんもいたんだなぁって、最近よく想像する。
もしいま私が災害にあったら、どうしたらいいんだろうって不安になるし、とても怖い。

元気に産まれてくることって、とても愛おしいことなんだなぁって思うと、視界がぼやける。

2011年8月21日日曜日

妊娠

(2011/08/20自宅で)
7月に妊娠した。 以来、ものの見方がかわったと思う。 うれしいことには前より笑うようになった。 どんなに小さなことにでも、不安や寂しさを感じるようになった。 好きな音楽を聞いたり、絵をみたりすると、それだけで涙がこぼれることが多くなった。 他人の赤ちゃんを見ると恥ずかしい気持ちになるし、
超音波の機械で赤ちゃんの陰が見えると、本当にうれしくて仕方がない。
やっぱりまた泣いてしまう。 すごいね、大きくなって、って話しかけてしまう。

そのときどきの状況によって、人はいろんなことを感じたり、見えたりするようになると思う。
正解はないし、そのときどきで自分の感じたことに正直でいるべきだとも思う。 ある友人のブログを読んで、 妊娠がきっかけで仕事に追い詰められて、辛いと思っている自分を見直させられた。 それは少し、自分に対してうそをついていることだと思う。 って書いてたら、やっぱり今も涙が出る。

めそめそ



2011年7月7日木曜日

誕生日

                     (2010年の夏くらい 新湊の海)
26歳になった日の朝8時半ごろ。
ケータイに知らない番号から電話がかかってきて、取った。
「まきちゃん?」
父の叔父(大叔父)の妻(大叔母)だった。
大叔父は5日前に73歳でガンで死んだばかりだった。

「お誕生日でしょう?おめでとう」
高くて明るい声がケータイの中で響いた。

私の番号は大叔父の携帯に登録されていたのだろう。
大叔母から電話がかかってくるなんて初めてだったし、
親戚といっても、会う機会の少ない間柄。
加えて、5日前に夫を亡くした大叔母の気持ちを思うと、
私はどんな風に話していいのかわからなくなった。

「お通夜ではね、まきちゃんの弔電を代表で読んでもらったのよ。ありがとう」
それは、通夜に行けないときのために念のため出しておいたものだった。
 『(略)お悔やみ申し上げます。遊びに行くと、おじさんがいつも優しく迎えてくれて、うれしかったです』
確か、そんな風に書いて送っていたな、と思い出した。

通夜は仕事でどうしてもいけなくて、それでも仕事を早引きしたけど間にあわなかったんですって、
そんな言い訳をしようかな、と思ったけど、何の意味もないと思ってやめた。

「また、遊びにきてね」
そういって、ぎこちなくて短い会話を終えると、私たちは電話を切った。

そしたら涙がぽろぽろ出てきた。
私と大叔父は同じ誕生日。
亡くなった夫の誕生日に私に「おめでとう」といってくれた大叔母の気持ちはどんなものだったのだろう。
私に大叔父を重ね合わせて、ふと、「おめでとう」と言いたくなったのだろうか、
私に何か言葉をかけたくなったのだろうか、

複雑だったろう大叔母の気持ちと
明るく響いた大叔母の声とを思うと、
やっぱり涙がこぼれた

ただ、私は、大叔母が電話してきてくれたことが、うれしかった。

2011年5月25日水曜日

懐かしいかんじ

懐かしいかんじにするには、決まったフォーマットがあるのかも。

(2011/05/25 高岡市)

カメラの「トイカメラ」機能で撮影すると、写真のふちが黒くなった。
ちょっと切ないような、懐かしいかんじ。


懐かしさっていうのは、人それぞれがもっている記憶と対象が
リンクするときに出来るんだろうと思う。
それをある程度つくれてしまえるのは、
記憶っていうのは、はっきりくっきりしたものではなくて、
ぼんやりと、ふんわりとしたイメージの中にあるからなんだろうなって思う。
どこかぼんやりとしていた方がリアルだなって感じるときがあるのはそういうことに近いと思う。

              原風景
            アレ・ブレ・ボケ
             (森山大道)

でも、ちょっとずるいと思うのは、
懐かしい感じが簡単につくれてしまうこと。
こんなにも簡単に作れてしまうと、私の頭のなかには
全然原風景と関係がなくても、懐かしさを感じられる
フォーマットがあるのかもしれないって疑ってしまう。
懐かしいと感じることが、なんだかもったいない気がしてしまう。
「懐かしいなぁ」って思うのなら、もうすこし気持ちを込めて思いたい。

2011年5月24日火曜日

記

                        (2010年の初夏くらい 愛知県)

共同通信が5月20日あたりに配信した東日本大震災で被災した高校教諭の記事を読んでいたら、
なんだかとってもやるせない気持ちになって、思わずコピペした。

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 絶望、悲しみ、かすかな希望…。原稿用紙約百枚分に上る手書きの文章からは、被災者の生々しい感情が伝わってくる。東日本大震災で家族を失った岩手県立大船渡東高校教諭の工藤幸男さん(56)が、十九日間の避難所生活で書き続けた日記を「生き残りしものの記」と題し、共同通信に寄せた。
 工藤さんは三月十一日の地震発生時は勤務先にいてけがはなかったが、同県陸前高田市の自宅を失い、大学生の次男(20)は遺体で発見、妻(53)は行方不明のままだ。翌日から同市立第一中学校で、同中三年だった三男(15)と避難生活を始めた。

 「何かをしていないと、おかしくなりそうで」と、普段から読書の記録用に持ち歩いていた大学ノートに日記を書き始めた。被災当初は妻と次男を案じ「二人がだめかもしれない」(三月十二日)「ここで頑張るか。でもどうやって?」(十三日)など、不安に揺れる気持ちを記載。

 また「妻の安否を聞かれる。人の顔をよく見てくれ。これが無事な顔かよ」(十六日)といら立ちをあらわに。

 その後は「休むのも生きるためだ」(二十日)などと前向きな表現も出始めるが、次男の遺体と対面し「ごめんな、何にもしてやれなかった」(二十四日)「これだけの試練はもう抱えきれない」(二十八日)と、つらく苦しい心情を吐露している。

 三月末から教員住宅に三男と居住し、勤務に戻った工藤さん。文字がびっしりと書き記されたノートを手に「書き続けたから、何とか乗り越えられたのかもしれない。それほどにつらい日々だった」と振り返った。


避難所の日記要旨
 ごめんな、何にもしてやれなかった 
 3月11日 永久に揺れ続けるかと思った。車で帰ろうとしたが、もう渋滞。学校に戻り、避難。通勤かばんを枕にして横になる。胸騒ぎしきり。
 12日 高田第一中学校に着き、体育館に入る。妻、次男がいない。三男が上の階にいると告げられる。二人がだめかもしれないと話す。

 13日 車で捜して回る。帰ってきて三男に手でばってんの合図。必死でこらえている。「引っ越さないか」と聞くと「みんなと高田高校に行きたい」と言う。そうか、そんならここで頑張るか。でもどうやって?

 14日 昼食後、長男と義父母やってくる。夕食は菓子パン二つ。

 15日 避難所に来てトイレの歴史が一気に五十年逆戻りした。穴に渡した二枚の板の上でする。

 16日 妻の安否を聞かれる。人の顔をよく見てくれ。これが、無事なのが分かってほっとしている顔かよ。

 17日 避難所で欲しくなるものは歯ブラシ。歯ブラシ一本でこうも気分が変わるのか。時折、どうしても涙ぐんでしまう。二人の死が判明したら大泣きするだろう。

 18日 家の跡を見てきた。何もない。(遺体安置所の)体育館の床に並べられている遺体については、書けない。直接自分で見て、こういうものだと心に留めるべきだ。一言だけ書けば、死ぬ間際の表情のままである。

 19日 巡回した保健師さんに血圧を測ってもらう。一八〇~一〇〇。

 20日 インフルエンザ患者が二人。若いふりして外でボランティア活動をするのは控えよう。休むのも生きるためだ。

 21日 新聞に次男の大学が載っていた。六百人が所在不明という。次男もその中にいる。

 22日 県立高校の合格発表の日。夜、三男が「(高田高校に)合格だって」と帰ってきた。握手しようとしたら、こぶしを出したので、それを手で包み込んで“握手”。

 23日 午後、江刺(の親族宅)へ。夕食までゆっくり布団で休んだ。温かい夕食。本当に生き残って、良かった。

 24日 千葉の叔父から、全国紙に二人の死亡記事が載っているというファクスが入る。下矢作小学校へ。名簿を見る。次男が矢作中学校。妻は別の人のようだ。矢作中学校へ。二体が棺(ひつぎ)に納められていた。一つが次男だった。やはり助からなかった。そして、よく早く見つかってくれた。顔を確認した。きつく口を結んでいる。血が一直線に固まっている。苦しくて舌をかんだのだろうか。ごめんな、何にもしてやれなかった。

 25日 火葬許可証の発行。書類を作ってくれる職員も涙ぐみながらの作業。奥州市でできるといわれた。

 26日 型通りの手順で次男は焼かれた。生き続けたら、どんな人間になっていったろう。静かな曲を丁寧に弾くピアノの腕も捨てがたかった。

 27日 妻はこの二カ月、しつこいくらい私の体に触りたがった。二人だけになると、私の服の下に手を入れてきて「ぬぐい、ぬぐい」とニヤニヤする。こんな形での突然の別れを予感していたのだろうか。

 28日 これだけの試練を連日加えられると、一人では抱えきれず、くずおれそう(原文のまま)になる。

 29日 これからのことは、生きてみなければ何も分からない。無理して明るく前向きな気持ちで(避難所を)出て行こうとは思うまい。それにしてもよく書いた。ボールペンを動かしているときだけでも、つらさを忘れていられると思いたい。

 30日 五時起床。毛布を本部へ返却。皆さんにあいさつ。十九日間、本当にお世話になりました。

2011年5月22日日曜日

こいのぼり2


    (2010年5月 ひるがの高原)
去年もかいたけど、
こいのぼりを最初に考えた人はやっぱりすごい!!
尾っぽがとっても翻ってる。


2011年5月11日水曜日

絵

(2011/02/13 箱根)

よくいく喫茶店のお兄さんに
「きょう行った美術展、なんだかおもしろくなかったんです。どきどきしなかった」
って話をした。
お兄さんは
「自分のことを思うことができなかったんじゃない」
と答えた。

そういえば、Kさんが講演会で「絵を見ることは自分を見ること」って言っていたような記憶がある。
「マイブルーベリーナイツ」では「他人って鏡みたい。みんな他人を見て自分を見てる」
って台詞もあったような。

絵を見ることは自分をみているということでもあるというのは、うなずける。
感覚的に。
それに、自分で思いを巡らさないと何かを感じることはできないというのもそうだと思う。
そして、私の場合、確かに自分に返ってなにかを想像することが前よりも少なくなっていると思う。
今回面白くなかったのも、お兄さんの指摘の通りの部分があるはずだと思う。

でも、もうひとつ。
絵に向かうときにはやっぱり、絵を描いた人がいて、
彼が何かを訴えてこなければ響いてこないことも当然あるはずだと思う。

2011年2月27日日曜日

日記・つぶ

(2011年2月13日 ゆき)

おばあちゃんの小さい目から
大きな涙の粒がひとつ、ひとつ、またひとつとこぼれ落ちた

気がついたら、私も一緒にたくさんのつぶを落としてた

私たちは二人で一緒にないた

「大丈夫ですよ。大丈夫なんです、きっと」
「ありがとう、ありがとう・・・」

言葉だけ見ると会話は成り立ってなかったけど、
そのとき、二人の間では十分に成り立ってた

おばあちゃんが背負っているモノが少しだけ見えた気がしてた。
すごく重くて、重みでつぶされた心から涙があふれて出たみたいだった。

2010年11月4日木曜日

写真11月4日

(2010/11/03:高岡市木町)

優しい人になりたいと思う。
他人がどんなことを考えているのか、思っているのか感じられる人に。
でも、それは難しいことだと思うし、
「優しい人になれた」と思うことがこれからあるとすれば、
とても危険だとも思う。

そんなに私は優しくなれない。

2010年10月24日日曜日

つき

口田さんにもらった写真↑


携帯からアップできるように設定したら、できた☆感激☆

2010年9月27日月曜日

私らしく感動















(8月に神島で)


最近感動していないって気がついた。
前はもう少し「感動した」ってことが多かったと思う。
空を見たら「今日は高いかも」とか「飛行機雲だ」とか何か感想があった。
何かいやなことを言われたら「なんでそういうことを言う状況にいるんだろう」とか、相手へのいらない心配までしていた。
じっくりとものを見たり、考えたりしなくなった。
掘り下げて深く考えるってことが前よりもできなくなった。

昨日大学時代の友人から電話があり、「手紙に切れがなくなった」と指摘されて確信。
別の友人は「毎日がルーティン化してるってことかもね」って。
そうかもしれない。
毎日たんたんと過ごしてる。
小さな失敗に小さなショックを覚えて、小さな成功にちょっとだけほっとする。
その繰り返し。
あんまり大きくはみ出さない。
気持ち的にも。
会社で働くとはそういうことなんだろうか。

家で「千と千尋の神隠し」を流していると、
千尋が自分の名前を忘れかけた。
ハクがこんなことを言った。
「湯ばーばは名前を奪って支配しちゃうんだ」
千尋は自分の名前を忘れないで仕事しようとする。

私は自分の名前でちゃんと仕事できているんだろうか。
署名記事は載るけれども、それってほんとうに私なんだろうか。

働きながらでも、千尋みたいに名前を忘れないでいることは可能なはず。
もっと私らしく感動したい。

2010年9月23日木曜日

孤独

(別にこの写真が孤独を表してるわけじゃないとおもうんだけどねー)


アラーキー「人がたくさんいるところにいると孤独を感じるじゃない。だからいくんだよ」



大学生のとき、新宿駅ですれ違う何百人もの恋人や家族を想像していた。
ものすごい数になるんだろうってことにいつも圧倒されてた。
今こうしてすれ違ってるけど、
今後の人生で、彼らと知り合いになる可能性はほぼゼロに等しいのだろうということもよく考えた。
一瞬肩がふれるだけの関係。
別にそれがいやだとかさみしいとかいいたいんじゃない。
どちらかというと、それってわたしにとって「不思議なこと」に部類する。
ぼんやり考えちゃう部類とも、いう?
そのとき感じていた不思議さは、
アラーキーの↑の言葉の延長にあるようにも思う。


2010年9月22日水曜日

したい

                        (かみしま)
きのう、
千里浜のドライブウェーにいって、
カラスが動物の死体をつついている光景を発見した。
波打ち際に転がる死体。
ねこかいたちか、もうわからない。
顔面は骨が浮き出ていて、
かろうじて体とくっついている皮は、すごくきれいにはがれている。
ソーセージをつつんでるビニルをはがすみたい。
カラスは2匹が3匹になって最後に四匹になった。
四匹は死体の肉をついばんだ。


死体。
死体は暴力的。
動物の死体を観ているだけなのに、ちょっとした罪悪感。
死体はそれだけでどこか人を傷つける力をもつのかも。
友達がぱしゃぱしゃと死体の写真を撮っていて、私はその光景をみながらハーゲンダッツを食べていた。
ハーゲンダッツはおいしかったけど、変な味がした。


そういえば3年くらい前に中国の現代美術展にいったことがある。
死体派っていうのがあった。
みているのが苦しかった。
「私は死にます」ってみんなで言い続けるのとか、
老人ホームにいるような各国のおじいちゃん人形がぐるぐるフロアをまわっているのとか・・・

「やりすぎ」と正直思った。
きもちわるい。
ただ、二度といきたくないとかそういうんじゃなくて、心地いい不快感を感じた、という感じ。
悪くないっていうのが、見終わったときの感想だった。

死体が持っている非日常性は人の心を傷つけるかもしれないけれど、
それぐらいの覚悟を持って立ち向かうことでやっと作品との、何かとのコミュニケーションになる。
なにも心に響かないことより、なにかしら傷つけられる方が私は好きなんだと思う。

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そのほか
↑より
*「死体が自分を写す鏡だっていうのは、それが明日の我が身だからなんだよ。まあ手触りを感じないままに変に情報過多になっちゃってると、そういう当たり前のことを忘れちゃって自分の暗い面ばかりが肥大化しちゃうんだろうね」

*「いや、死体はそれ以上でもなければ、それ以下でもない、っていう言い方をするけど、それは決してドライな言い方をしてるわけじゃなくて、逆に特殊な存在だっていうようにもいえるわけでね。過大に評価するのも失礼というか、過剰に怖れる必要もないだろうと思うし、かといってモノ扱いするのもおかしいだろうと思うし。そういう意味でいってるんだけどね。だからほんとに、俺はファインダーを通して関わるのが基本だからさ、そういう目で見ると、死体ってやっぱりいろんなことを語ってるわけだよ。だからかわいそう、とかっていう一般的な感情移入は、ほんとうに死体が表現してくることのほんの一部分で、むしろマイナーかもしれないと思う。というか、これは受け取る側の問題でもあるか。」

2010年5月20日木曜日

違う画

(2010/04/01 新湊)

「違う画を見ているだけだよ」と、学生時代に友人から言われたことを
1Q84 BOOK3を読んで思い出した。

2010年5月6日木曜日

いちごあめ

(2010/04 氷見どんどんまつり)

いちごあめ
ってナマエノカンジがかわいらしい。
って、いま打ってみて思った。

平かなってじっとみると
なんて不思議なかたちをしているんだろう、とよく思う。

2010年5月5日水曜日

こいのぼり

(2010/05/05 ひるがの高原)


こいのぼりを最初に考えた人は
すごい気がする

こいを空に泳がそうと思うなんて。

独創的

なきがする。

2010年5月3日月曜日

「韓流映画が大好きなおじいちゃんでした」


新聞のお悔やみ欄の確認で遺族にきく一言。
亡くなった人が生前どんなひとだったのか、何が好きだったのか、性格は?趣味は?
びっくりするくらい悩んでしまう人もいれば、
家族と相談する人もいれば、
一瞬で答えてしまう人もいれば、
コメント無しで終わる人もいれば、
「そう聞かれると思って考えていたんです」と打ち明けてくれる人もいた。

「植物が好きでね、山へ行って、そうだな、花とか観察とかがすきだったなぁ・・・(くどくど続く)」(まとめるのが難しいなぁと頭が痛い)
「韓国映画が大好きでよく見ていたっちゃ。歌も歌っていたなぁ」(申し訳ないけど80代おじいちゃんのため笑いをこらえてしまう)
「頑固じじいだった!」(それは新聞では書けない気がするとか悩む)
と その答えも千差万別。

電話口で聞いている私はというと、
家族が遺族の一生を思い「・・・」と悩んでいる一瞬が結構好きだったりする。

(2010/04/ 射水市高光山寺・・・千大仏の寺で)

2010年4月7日水曜日

バースデーガール

(2010年1月 ホーチミン)
ウェイトレスとして働いているバイト先の夢庵仙川店にきたおじいさんが
大根ぱりぱりサラダとドリンクバーと明太子チーズオムレツをオーダーしました。

かれは、ファミリーレストランの個室ともいえないような仕切りしかない4人席に座っていました。
白いひげを鼻の下に薄く蓄えて、ベージュの綿パンに緑のセーター姿。
黒くて重そうなレザーのコートを彼が座っているいすの背もたれにかけていました。
4人席だからもっと空間をりようして、コートも隣の席くらいにおいてしまえばいいのに、
と思いました。
外見は「紳士的」ということばがぴったりなほど落ち着いた様子で、
右手を左手にのせ、組むしぐさも、わざとらしくはないように思えました。

そう思った、そのとき、でした。
「20歳の誕生日に一つだけ君の願いをかなえてあげよう」
と彼は低い声で、でも、はっきり明朗とした口調で言ってきました。

(2010/04/07  本多勝一の作文技術の本と村上春樹のバースデーガールをいっぺんによんで)


2010年3月24日水曜日

日記の一部

 (2010/01まんなか)

涙を流しすぎてめがぱんぱん
でもなんでんじているかわかんない、っていうこと
あったらまずいかなぁ。

まずいよね・・・

好きな人じゃないはずの人が好きな人なのか・・・?
  うーん、              ねむい

2009年12月31日木曜日

マンゴーのいろ

(2009年9月の第二週くらいの土曜か日曜、富山の発電所美術館)
クリスマスに、仕事で仲良くなったお菓子屋のおじさんから
輪島で塗師をしている赤木明登さんという方の「美しいもの」っていう本をもらいました。
今さっき読んでいて、けっこういい本で、いろんな思い出とか記憶とか、思い出してしまいました。
そこで思い出したことの一つが今年の春、インドネシアのギリ・アイル島っていう小さい島で出会った島の男の子との話でした。

たぶん年は同じくらいの子で、夜、亀が海で産卵するっていうので一緒に見に行きました。
で、海岸線を歩きながらいろいろ話しをしていました。
たぶん、あれは満月だったんじゃないかなーー、と思う。
亀が産卵するような夜だし。 とりあえず、めちゃめちゃ星がきれいで、
月の光がとても明るくて、 波が光っていました。
海の中にはプランクトンがたくさんいて、手に取るときらきら光るのを見て笑いました。
で、まぁ結局亀にはあえなかったんだけど、 しかもこのロマンチック具合は全く関係ないんだけど、 笑
いろいろ話していて、
「なんでマンゴーって黄色いと思う?」 と私は聞きました。
唐突だけど、この質問は大学時代の英語の時間で私が気に入っていたディスカッション内容だったので、ふと聞きたくなりました。
かれはこう答えました。
「えっ!??マンゴーって赤色でしょ?」
すごくいい答えじゃないかなって思いました。


一つは 私が感じている赤とか青とか白とかっていう色は 国や文化や歴史や、いろんな環境の中でその定義が異なってくるっていうことを表しているって思うから。
私が黄と呼んでいる色は他の国の人には、または他人にとってはにとっては赤であり、また、しろでもある。

そしてもう一つは 私が見ている色は必ずしも絶対に黄ではなく、 同じ色を見ていたとしてもだれかにとっては、私の目を通したときに赤になっているのかもしれないっていうことを思い出したから。
例えば私の父親は色弱でオレンジっぽい色が私のようには見えないそうだけど、 彼自身が感じるオレンジ色って言うのはやっぱりそれでもあるわけで、 そのとき私と彼が感じている「オレンジ」という色はおそらくきっと違ってくる。
同じように、 私が思っている、信じていることや言葉の定義も 必ずしも絶対的な物ではなく、環境の違いや見ている目線によってめちゃめちゃ大きく変化してくる。

これは赤だ 白だ 黒だ と決めつけるのではなく、 なにかを表現していたら、だれかの解釈にまかせてしまう。
答えを預けてしまう。

あかでもいいし
白でも
オレンジでもいい
っていうふうに。
それって優しいことだなと思う。
自分の考えを押しつけたり、 誰かの声を聞かないのではなく、 任せてしまうというのは 悪くないと思う。

この本「美しいもの」も美しいものを強制しなくて、強制しない人とかものとかがたくさん出てきて、 そのときの情景をふと思い出してしましました。

「いつもの道を歩いて
ちいさな花をみつけた
今朝
すべてがあまりに美しいので
この花を君にあげよう
理由もなく何かを美しいと思うこと
僕はそのことにただ感謝しているんだ」