読売新聞に載っていた明治大の鹿島茂教授の「映画『レ・ミゼラブル』を見て」がとてもよかったです。先日、この映画をみたときに、こんなにまで読解しなかったことがもったいない。
「愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、
ジャン・バルジャンに象徴される《だれか》が見返りを要求しない無償の愛を《最初》にあたえなければならない」
「現代にあっては、その《だれか》は《あなた》でなければならない」
鹿島教授は無償の愛を与えてくれるのが、キリストから《あなた》へと変わっていったと指摘し、
そのあなたとは「雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され」たとも言っています。
大野更紗さんの「困っているひと」では、最後の最後に人が頼れるのは社会の制度でしかないとしているところがとても印象的でした。
自分のことを思っている家族や友人がいたとしても、自分の障害や貧困などの困難の全てを補い助けてもらうことはとても難しい。
最後の最後に頼ることができるのは、制度や保障などの社会基盤なんだって印象深かったです。
二つの話は、とても近いことを言っているように感じます。
そして、この無償の愛を与えるのは《あなた》であるというところに、社会の中の私にも、その一躍が担われているんだと、気持ちが引き締められた気がしました。
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