彼の写真を始めてみたのは
大学1年生のときでした。
新宿のどこかの企業で行われていた展示会。
母に連れられていった私は少し疲れていて、最初はボーっとしていたのですが、
母の
母に連れられていった私は少し疲れていて、最初はボーっとしていたのですが、
母の
「カメラの位置を考えてごらん」
という言葉に見方が変わりました。
誰かのための記録とか、
残しておくものとかではなくて、
写真はカメラと被写体との関係を表すもの、
という気がしました。
という気がしました。
初めて写真に興味を持ったときでした。
「僕の写真は写真を職業とするほとんどのルートからはずれている。
「私」という個に向けてのみ撮っている。極私的な記念写真家。」
「僕にとって写真とは撮っても撮っても撮りきれず、追いきれない世界の断片と、
抜き差しならない自己の生との交差する一点、
真のリアリティを見つけるための唯一の手段としてあるのだといえる。」
今回の展示会で見つけた気にいった森山さんの言葉。
彼の時間
彼の見たもの
彼の感じたもの
彼自身の記録
日記みたいなものかしら。
森山さんの葛藤や悩みや、彼自身と接触している気になってきます。
彼が本当に自己に向かってのみ撮っているのだとすれば、
おそらく、説明しない、解説しない、分析しない、という倫理観が必要かもしれないですね。
森山さんそのものと向かうのだから。
人の日記にあれこれいうのは、いかがな感じかとも思うし、それと似ている気がします。
ただ、
本当に極私的なんていうことありえるのかなー。
ちょっとはうそついてないですか・・・?と、思ってしまいます。汗
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