(2007年3月)
友達から本を貸してもらって、半分くらいまでばーって読んだ。
「ごめん!!読みすぎて手汁でくたくただわ!」
とかいって無理やり渡された。
思った。
「すごくうれしい」
何かをイロイロ考えて、思いをめぐらせながら読んだ大事な本を
私に渡してくれたということが、まずうれしい。
それは本という「もの」を貸してくれたってだけではなくて、
この本から派生する「思い」の共有までつながっている。
だから、彼女が大事な思いを共有したいと思ってくれたところまで、すごく嬉しい。
実は2年くらい、近くで一緒にサークル活動していたわけだけど、
こんな風にうれしいと思うことはなかった。
きっとそれは、
彼女が本当はどんな人なのか知らなかったから
ということではなくて、
彼女が私に話しかけてくれなかったから
ではなくて
私自身が、
他人を受け入れなかったからだ。
「友達、親、恋人。
自分と一番近くにいる人に、自分のやっていることを伝えられている?」
エイズ予防啓発活動をしていて、知らない人には、「こう考えよう!」とかいってるくせに、
私と近いところにいる人には、簡単に「私」を知らせられない。
一緒に活動している先輩にこういわれたときにはっとしたはずだったのに、
彼女の本を読んでいて、またはっとしてしまった。
多分、私が思っているより、社会は、人は、もっと優しくて、もっと私を受け入れてくれる。
すぐ私は
「なんでこうなんだろう」
「みんな何も考えてないのでは」
と嘆いてしまうけど、
私が思っているよりそんなことないし、
むしろ、逆に私が考えられていない。
ちょっと反省した。
けど、ちょっとうれしかった。
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