(2007年8月 沖縄 多分波照間島かな~)
昔から相田みつをさんは苦手でした。
結構私の友達でも「好き」っていう子はいるし、
テレビでも特集されてたりするし、
詩を毎日読んで元気付けられてるって言う人も知ってます。
別に、それがうそだとか、
批判したいとか
そういう話ではなくて、
そう、全然なくて、
ただ、なんだか、
人生の教訓みたいなものが
ちょっと無責任な気がして苦手だったんです。
なんだか疑わしかったんです。
月刊PLAY BOYの今月号「詩は世界を裸にする」特集(9月号)を購入しました。
谷川俊太郎さんのインタビューがのっているんですが、
彼はこういいます。
「詩は、メッセージではない。
人間の意識を開放するものです。
おいしい食べ物のように
味わってほしいんです。」
確かに、目の前のケーキに、ローストビーフに、ラーメンに
「おいしいでしょ」とか
「こういう風に食べなさいよ」とか
言われたくない。
この箇所がおいしいとか、
まずいとか、
もしくは全然関係ないこととか考えながらでも、
自分の味覚で味わいたい。
名言がどれだとか、
これで感動できるとか、
これで人生がわかるとか、
そんなものはやっぱり胡散臭い気がする。
私と詩と素朴に関係を持つだけで、それでいいじゃない、って思う。
ある明確なメッセージが発せられていたとして、
いったい誰がそれを正確に受け止めることができるだろう。
理解できるんだろう。
今日読んでいる本(アナトール・フランス)によると、
わからないから、不完全だから、
だから人生なんだって。
昨日みた「秒速5センチメートル」で、
種子島を旅立つロケットを見ながら、
貴樹が遠い遠い宇宙に、求めているものに、
ずっとずっとひとり孤独で立ち向かっていくロケットを思うシーンがあったけど、
完全さや心理を求めつつ、
見つけられないことがこの世界を包んでいる気がする。
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