2010年9月27日月曜日

私らしく感動















(8月に神島で)


最近感動していないって気がついた。
前はもう少し「感動した」ってことが多かったと思う。
空を見たら「今日は高いかも」とか「飛行機雲だ」とか何か感想があった。
何かいやなことを言われたら「なんでそういうことを言う状況にいるんだろう」とか、相手へのいらない心配までしていた。
じっくりとものを見たり、考えたりしなくなった。
掘り下げて深く考えるってことが前よりもできなくなった。

昨日大学時代の友人から電話があり、「手紙に切れがなくなった」と指摘されて確信。
別の友人は「毎日がルーティン化してるってことかもね」って。
そうかもしれない。
毎日たんたんと過ごしてる。
小さな失敗に小さなショックを覚えて、小さな成功にちょっとだけほっとする。
その繰り返し。
あんまり大きくはみ出さない。
気持ち的にも。
会社で働くとはそういうことなんだろうか。

家で「千と千尋の神隠し」を流していると、
千尋が自分の名前を忘れかけた。
ハクがこんなことを言った。
「湯ばーばは名前を奪って支配しちゃうんだ」
千尋は自分の名前を忘れないで仕事しようとする。

私は自分の名前でちゃんと仕事できているんだろうか。
署名記事は載るけれども、それってほんとうに私なんだろうか。

働きながらでも、千尋みたいに名前を忘れないでいることは可能なはず。
もっと私らしく感動したい。

2010年9月25日土曜日

こきりこ祭り



(おねーさんのあたまが・・・)


越中五箇山のこきりこ祭りへ行ってきた。
(しごとで)
踊り手の男性は、ささらという楽器をならして、綾い笠っていうのをかぶって
上梨の白山宮でゆったりとした舞を踊った。

しゃっ

しゃっ、しゃっ


富山市八尾のおわらでもかぶっていたこの半円形の笠。
体から頭が遊離してるみたいに見える。
富山の祭りででてくる舞の魅力は、この笠に有るんじゃないかと思う。

顔が見えそうで・・・・・見えない。
あ、見える・・・・?見えない。
ちょっと見えた・・・・?かな?
みたいな。
それがすごくセクシーなんじゃないかな。

しゃっ

しゃっしゃっ



2010年9月23日木曜日

孤独

(別にこの写真が孤独を表してるわけじゃないとおもうんだけどねー)


アラーキー「人がたくさんいるところにいると孤独を感じるじゃない。だからいくんだよ」



大学生のとき、新宿駅ですれ違う何百人もの恋人や家族を想像していた。
ものすごい数になるんだろうってことにいつも圧倒されてた。
今こうしてすれ違ってるけど、
今後の人生で、彼らと知り合いになる可能性はほぼゼロに等しいのだろうということもよく考えた。
一瞬肩がふれるだけの関係。
別にそれがいやだとかさみしいとかいいたいんじゃない。
どちらかというと、それってわたしにとって「不思議なこと」に部類する。
ぼんやり考えちゃう部類とも、いう?
そのとき感じていた不思議さは、
アラーキーの↑の言葉の延長にあるようにも思う。


2010年9月22日水曜日

したい

                        (かみしま)
きのう、
千里浜のドライブウェーにいって、
カラスが動物の死体をつついている光景を発見した。
波打ち際に転がる死体。
ねこかいたちか、もうわからない。
顔面は骨が浮き出ていて、
かろうじて体とくっついている皮は、すごくきれいにはがれている。
ソーセージをつつんでるビニルをはがすみたい。
カラスは2匹が3匹になって最後に四匹になった。
四匹は死体の肉をついばんだ。


死体。
死体は暴力的。
動物の死体を観ているだけなのに、ちょっとした罪悪感。
死体はそれだけでどこか人を傷つける力をもつのかも。
友達がぱしゃぱしゃと死体の写真を撮っていて、私はその光景をみながらハーゲンダッツを食べていた。
ハーゲンダッツはおいしかったけど、変な味がした。


そういえば3年くらい前に中国の現代美術展にいったことがある。
死体派っていうのがあった。
みているのが苦しかった。
「私は死にます」ってみんなで言い続けるのとか、
老人ホームにいるような各国のおじいちゃん人形がぐるぐるフロアをまわっているのとか・・・

「やりすぎ」と正直思った。
きもちわるい。
ただ、二度といきたくないとかそういうんじゃなくて、心地いい不快感を感じた、という感じ。
悪くないっていうのが、見終わったときの感想だった。

死体が持っている非日常性は人の心を傷つけるかもしれないけれど、
それぐらいの覚悟を持って立ち向かうことでやっと作品との、何かとのコミュニケーションになる。
なにも心に響かないことより、なにかしら傷つけられる方が私は好きなんだと思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そのほか
↑より
*「死体が自分を写す鏡だっていうのは、それが明日の我が身だからなんだよ。まあ手触りを感じないままに変に情報過多になっちゃってると、そういう当たり前のことを忘れちゃって自分の暗い面ばかりが肥大化しちゃうんだろうね」

*「いや、死体はそれ以上でもなければ、それ以下でもない、っていう言い方をするけど、それは決してドライな言い方をしてるわけじゃなくて、逆に特殊な存在だっていうようにもいえるわけでね。過大に評価するのも失礼というか、過剰に怖れる必要もないだろうと思うし、かといってモノ扱いするのもおかしいだろうと思うし。そういう意味でいってるんだけどね。だからほんとに、俺はファインダーを通して関わるのが基本だからさ、そういう目で見ると、死体ってやっぱりいろんなことを語ってるわけだよ。だからかわいそう、とかっていう一般的な感情移入は、ほんとうに死体が表現してくることのほんの一部分で、むしろマイナーかもしれないと思う。というか、これは受け取る側の問題でもあるか。

2010年9月5日日曜日

神島のはなし5

(2010年8月観的哨)

観的ってこんなところ。



2010年9月3日金曜日

神島のはなし4


(2010/08 )


神島のはなし、神島のはなし。。。