2012年12月30日日曜日

読書感想

(2011年6月 福島県)

「援デリの少女たち」(鈴木大介)

援デリ、飛ばし携帯、売春と障害、全寮制、震災と援デリ・・・
たくさんの気づきがあった一冊でした。

住民票もないような少女たちを福祉などの社会制度と再びつなげるには、妊娠時がとても適していることを知りました。
家出した少女たちがどこへいくのかを調べて、現場を取材する人と、
民間や公共の福祉施設らをつなげて情報共有することが大切だとも気付かされました。
売春の背景には、貧困問題があるけれど、貧困問題とからみあって少女たちは自由を求めているんだという指摘にも、読後はとても頷けました。
震災では、東北の人と人とのつながりから漏れてしまい、都会へしかいくことができない少女たちもいたということもどきりとした指摘でした。

最後に出てくる妊娠中の少女については、涙を流しながらページをめくりました。
売春は客を心から楽しませてあげて、自分の身体という資本で全力でぶつかる仕事だと、
ほこりをもっている姿はとてもたくましいと感じました。
「ウリのセックスだってかんじんだよ」
っていう台詞は、真剣に人や仕事と向き合っている女の子の気持ちストレートって言う感じなんだろうって思われて、なんかもうかっこよすぎる。

鈴木さんが長期間、丁寧に取材しているのも読んでいてわかりました。
今年読んだルポの中で、この本と石井光太さんの「感染宣告」は、多分わたしがとても心にひっかかる分野なんだと思う。
こんなふうに丁寧に取材して、調べて、それまで届けられなかったようなひとたちの声を現実を、私も知りたいし、書くことができるような人になりたいです。

2012年12月27日木曜日

無償の愛

(2012年4月8日)

読売新聞に載っていた明治大の鹿島茂教授の「映画『レ・ミゼラブル』を見て」がとてもよかったです。先日、この映画をみたときに、こんなにまで読解しなかったことがもったいない。


「愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、
ジャン・バルジャンに象徴される《だれか》が見返りを要求しない無償の愛を《最初》にあたえなければならない」
「現代にあっては、その《だれか》は《あなた》でなければならない」

鹿島教授は無償の愛を与えてくれるのが、キリストから《あなた》へと変わっていったと指摘し、
そのあなたとは「雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され」たとも言っています。

大野更紗さんの「困っているひと」では、最後の最後に人が頼れるのは社会の制度でしかないとしているところがとても印象的でした。
自分のことを思っている家族や友人がいたとしても、自分の障害や貧困などの困難の全てを補い助けてもらうことはとても難しい。
最後の最後に頼ることができるのは、制度や保障などの社会基盤なんだって印象深かったです。

二つの話は、とても近いことを言っているように感じます。
そして、この無償の愛を与えるのは《あなた》であるというところに、社会の中の私にも、その一躍が担われているんだと、気持ちが引き締められた気がしました。

2012年12月24日月曜日

感謝祭

(2012年12月 南砺市)
 

知り合いの農家さん方で開かれた感謝祭。
今年とれたお米や玄米でついたおはぎを友人や近所の人たちでほおばりました。
赤ちゃんから大人まで25人くらいが集まってわいわいがやがや。

初めてでも名前も知らなくても自然と会話が生まれ、子供たちは雪の中を駆け回り・・・
人とすぐにうち解ける方ではないのだけれど、無理せずにいれば少しずつでも会話ができて、気持ちが和んでくる。
今日のこの空間って、私にとってはとてもいいものだったし、大切にしたい。


「みんなに出会えて ありがとう」っていって閉めた感謝祭。
そんなことばが自然に出てくる人になりたい。


2012年12月17日月曜日

悪い雰囲気

「選挙の話とかってする人なの?」
衆院選の投票を前に、29歳の知人女性が同級生に言われたという。
女性は「もう、この人とは話をすることもできないかも」
と交友関係にひびが入ったことを不安に感じている様子。
選挙の話ができないことを残念がってもいるようだった。
政治や社会の課題について、議論のみならず、口にすることさえしにくい雰囲気は、
私も感じることがある。
何か話すと、「政治や社会問題を語る人」とカテゴライズされる気がする。
そして、そのイメージはよくない。
気取っているとか、つまらない人とか、難しい人とか、そんなところかな。

こんな雰囲気、なくなればいいのに。
彼女の抱える不安をせめて私はうけとめられるようでありたい。
「選挙の話をしようよ。不安に思うことじゃないよ」って。

2012年12月15日土曜日

ちょっと話す

(2012年11月 南砺市)

自分の考えは幼稚でくだらないことだ
とか、
こんなこと考えているなんて思われて、嫌われないか
とか、
私のことをわかってくれる人なんてだれもいないんだ
と考えてもんもんしまうのは、
自分の気持ちや考えをその都度表現してこなかったせいで、
私自身、自分が何を考えているのか整理できていないからかもしれない。
小さなつらいつらいを積み重ねて、だるさややるせなさを感じ、どうしようもなくなってしまっていたのかも。
他人が自分のことを理解しきれないように、自分に対しても説明して分析することが大切なのかもしれない。
と、㊦の本を読んで思いました。

「その後の不自由」
(上岡陽江 大嶋栄子)



メモ
・自分と他の人との境界線がない
・自分の外側に家族や友人、近所の人など社会との間にクッションのような存在が自分を守ってくれている 自分のコミュニティに私らしさ、自分の価値を見つけることができる。
・回復とは他人を優先していたことが、自分を真ん中にして考えることへとかわっていくこと
・境界線がないと、真ん中に他人がいて、孤立してしまう
・回復とは回復し続けること
・変化し続けることが安定
・ちょっと寂しいくらいがちょうど良い・・・人との安全な距離感
・ちょっと話す、一緒に考える
・愚痴は解決しなくていい
・身体を大切にする→自分を大切にする
・具体的にどんなことが普通の生活なのかを伝えることが大切
・おなじことでも何度も話して自分の中に落とす
・援助者がバトンタッチしていく
・ここまでいきてこれたことにご苦労様


2012年12月6日木曜日

投票

                                                  (2012年9月東京スカイツリー)

「若い人が選挙に行かない理由ははっきりしていて、知り合いが出てないから。投票を頼まれないからです。」
(2012/12/05)

北陸中日新聞で、ドットジェイピーの佐藤大吾さんが指摘していた。
そうなのかも。
なんで行かないんだろうって考えるより、高齢な世代はなんで行くんだろうって考えた方が、若者が投票しない理由がわかるかも。
頼まれた票を入れるのがいいとはいえないけど、
いい意味でもっと政治家が身近な存在になれば、政治にリアリティをもてるのかもしれない。

2012年12月5日水曜日

アウトプット

                                       (2012年9月 東京スカイツリー)


 「アウトプットして、振り返ることが大切なんだよ」  

 妊娠前によくいっていた喫茶店のマスターが、久しぶりに店に顔を出した私にこういった。
 人は日々、情報のインプットを山のようにしている。
 でも、見聞きした情報を何らかの形で外にださないと、情報は流れたまま。
せっかく知り得た情報から何かを考えて学ぶ機会を失ってしまう。
「アウトプット」することで、情報を整理して自分の考えをもたないといけないんじゃないか・・・ーー。
 と言う風に、彼はアウトプットの大切さを諭してくれた。


 でも、どこにアウトプットすればいいんだろう。 
FBとかMIXIは多数の人に読まれるから、自分の率直な考えを述べにくい。
日記っていうのも、習慣付いていないせいか難しそう。
 て、しているうちに、 なんだかあっという間に時間がたってしまい、 育休からの仕事復帰まであと4カ月もない。
 毎日ぼんやりすごして、あー、このままでいいのか、私。
と思ってこのブログに帰ってきた。 

夫が読むかもしれないけど、まぁ、いっか。
だとしたら恥ずかしいな。ま、いっか。
 誰に読まれるかもしれないっていうのは気にせずに、気が向いたら更新しよう。

伝達

最近、 親しい友人が化学物質過敏症を発症した。


新聞や本などの印刷物、テレビやインターネットなどの機械類に接すると、触っていた指先が痛んだり、エネルギーが必要だったりするという。
思考力も衰えてきて、
それまで好きだった読書もしなくなっていた。


「投票日は何日?どうすりゃええの?」
選挙の話題を彼に投げかけて、返ってきたメールにびっくりした。
(メールの仕方も前とは違うみたい。でも、どうやってやっているかまでは聞いていなくてわからないけど)
メディアに接触できないせいでか、彼は先月の衆院の解散をしらなかった。
発症したばかりで、世間のニュースどころではなかったのもあるかもしれない。
それでも、彼はこれまで毎回、選挙へいっているし、新聞も毎日読んでいた人だ。政治に関心がないわけでもない。

テレビや新聞、ネットでは、選挙関連のニュースが毎日、大量に流れている。
けれど、それでもメディアに触れることができない人には、必要な情報さえも入ってこない。

病気や貧困でメディアに接することができず、投票の機会を失う人がいる。
そのせいで、そう言った人たちの声が政治に反映されなくなる。

選挙のように、多くの有権者を対象にするのではなく、特定の病を患っている人やある年齢層など、特定の人を対象にする場合は特に周知は難しいと思う。
その人が必要だろう情報をどんな風に伝えるのか。
情報の伝達にもれがあるのかもしれないって対策をうっておくことは必要なんだ。って、改めて思ったし、どうしたらいいんだろうって悩ましくなった。


(写真 2012/11 二上山)