(2008年6月25日青森県奥入瀬)
エイズって、とっても人間くさい病気だと思います。
すごく人間くさい。
だから、 偏見もあるし、差別もあるし、正しい情報はなかなか人々に共有されていないし、
たくさんの問題を抱えています。
でも、人間くさいからこそ、 適切なケアが優しくできれば、
「私」っていうアイデンティティが確かめられたら、
新しい気持ちで病気を迎え入れることができるのかもしれない。
「自分」を発見させてくれるめがね。
昨日、T地区のエイズ協議会に出席しました。
そのなかで、エイズになってしまったことを誰にも明かすことができないまま、 孤独死してしまった人の話を聞きました。
ショックでした。
誰かに打ち明けることができたら、適切な処置ができただろうし、
そんな寂しい思いをして死ぬこともなかったのではないかと思います。
日本においてのHIV陽性者は、ほとんど性感染によるものです。
「性」とは、「心が生まれる」って書くように、すごくデリケートなもので、
人と人とのかかわりを示す記号になります。
それは関わりのみならず、自分がどんな人間かをも時に示すでしょう。
だから、性感染症であって治らないHIV感染とは、人間くさいといえる気がしています。
例えば、東南アジアで売春をして陽性者になってしまった男性にとって、
陽性であることのカミングアウトは、
家族の中での「父」とか「夫」という威厳の損失につながると考えられます。
それは、今まで隠してきた「私」の一部分を他人に打ち明けることとも言えるでしょう。
今まで他人に示してきた自分の生き方を屈がえすことにつながります。
最近読んだ「服従の心理」にかかれていたような「権威」に関わってくる問題といえるでしょう。
人はある規律を持った集団やコミュニティ内に入った場合、
「役割」を持ち、それを演じることに懸命になるそうです。
守らなくても死ぬことはないし、でも守っていないとやってられない。
人は「父親」とか「彼氏」とか「彼女」とかっていう役割から、
なかなか離れることができない性質を持っているようです。
このことは人が社会を作る生物であることを示しているようにも感じます。
さて、 この「父親」は、あるとき奥さんにカミングアウトしたそうです。
奥さんは何も言わずに彼を受け入れてくれたらしいです。
奥さんは、この男性が見せていないと思っていた部分を知っていたのかもしれないし、
また、彼が役割を離れて何であっても愛していたのかもしれない。
人と人との関係を示します。
だからこわいと感じるけど、優しく迎えることもできます。
性感染症であり、 HIVに一度感染したらもう治らないからこそ、
「自分」がどういう人間なのかを強く示すし、
人と人とのつながりも強調して指し示しています。
だから、冒頭のような孤独死がもう起こらないためにも、
ちゃんと向き合えるようなコミュニケーションの可能なケアが必要なんだ、って
昨日の会議で強く思いました。
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