2012年12月17日月曜日

悪い雰囲気

「選挙の話とかってする人なの?」
衆院選の投票を前に、29歳の知人女性が同級生に言われたという。
女性は「もう、この人とは話をすることもできないかも」
と交友関係にひびが入ったことを不安に感じている様子。
選挙の話ができないことを残念がってもいるようだった。
政治や社会の課題について、議論のみならず、口にすることさえしにくい雰囲気は、
私も感じることがある。
何か話すと、「政治や社会問題を語る人」とカテゴライズされる気がする。
そして、そのイメージはよくない。
気取っているとか、つまらない人とか、難しい人とか、そんなところかな。

こんな雰囲気、なくなればいいのに。
彼女の抱える不安をせめて私はうけとめられるようでありたい。
「選挙の話をしようよ。不安に思うことじゃないよ」って。

2012年12月15日土曜日

ちょっと話す

(2012年11月 南砺市)

自分の考えは幼稚でくだらないことだ
とか、
こんなこと考えているなんて思われて、嫌われないか
とか、
私のことをわかってくれる人なんてだれもいないんだ
と考えてもんもんしまうのは、
自分の気持ちや考えをその都度表現してこなかったせいで、
私自身、自分が何を考えているのか整理できていないからかもしれない。
小さなつらいつらいを積み重ねて、だるさややるせなさを感じ、どうしようもなくなってしまっていたのかも。
他人が自分のことを理解しきれないように、自分に対しても説明して分析することが大切なのかもしれない。
と、㊦の本を読んで思いました。

「その後の不自由」
(上岡陽江 大嶋栄子)



メモ
・自分と他の人との境界線がない
・自分の外側に家族や友人、近所の人など社会との間にクッションのような存在が自分を守ってくれている 自分のコミュニティに私らしさ、自分の価値を見つけることができる。
・回復とは他人を優先していたことが、自分を真ん中にして考えることへとかわっていくこと
・境界線がないと、真ん中に他人がいて、孤立してしまう
・回復とは回復し続けること
・変化し続けることが安定
・ちょっと寂しいくらいがちょうど良い・・・人との安全な距離感
・ちょっと話す、一緒に考える
・愚痴は解決しなくていい
・身体を大切にする→自分を大切にする
・具体的にどんなことが普通の生活なのかを伝えることが大切
・おなじことでも何度も話して自分の中に落とす
・援助者がバトンタッチしていく
・ここまでいきてこれたことにご苦労様


2012年12月6日木曜日

投票

                                                  (2012年9月東京スカイツリー)

「若い人が選挙に行かない理由ははっきりしていて、知り合いが出てないから。投票を頼まれないからです。」
(2012/12/05)

北陸中日新聞で、ドットジェイピーの佐藤大吾さんが指摘していた。
そうなのかも。
なんで行かないんだろうって考えるより、高齢な世代はなんで行くんだろうって考えた方が、若者が投票しない理由がわかるかも。
頼まれた票を入れるのがいいとはいえないけど、
いい意味でもっと政治家が身近な存在になれば、政治にリアリティをもてるのかもしれない。

2012年12月5日水曜日

アウトプット

                                       (2012年9月 東京スカイツリー)


 「アウトプットして、振り返ることが大切なんだよ」  

 妊娠前によくいっていた喫茶店のマスターが、久しぶりに店に顔を出した私にこういった。
 人は日々、情報のインプットを山のようにしている。
 でも、見聞きした情報を何らかの形で外にださないと、情報は流れたまま。
せっかく知り得た情報から何かを考えて学ぶ機会を失ってしまう。
「アウトプット」することで、情報を整理して自分の考えをもたないといけないんじゃないか・・・ーー。
 と言う風に、彼はアウトプットの大切さを諭してくれた。


 でも、どこにアウトプットすればいいんだろう。 
FBとかMIXIは多数の人に読まれるから、自分の率直な考えを述べにくい。
日記っていうのも、習慣付いていないせいか難しそう。
 て、しているうちに、 なんだかあっという間に時間がたってしまい、 育休からの仕事復帰まであと4カ月もない。
 毎日ぼんやりすごして、あー、このままでいいのか、私。
と思ってこのブログに帰ってきた。 

夫が読むかもしれないけど、まぁ、いっか。
だとしたら恥ずかしいな。ま、いっか。
 誰に読まれるかもしれないっていうのは気にせずに、気が向いたら更新しよう。

伝達

最近、 親しい友人が化学物質過敏症を発症した。


新聞や本などの印刷物、テレビやインターネットなどの機械類に接すると、触っていた指先が痛んだり、エネルギーが必要だったりするという。
思考力も衰えてきて、
それまで好きだった読書もしなくなっていた。


「投票日は何日?どうすりゃええの?」
選挙の話題を彼に投げかけて、返ってきたメールにびっくりした。
(メールの仕方も前とは違うみたい。でも、どうやってやっているかまでは聞いていなくてわからないけど)
メディアに接触できないせいでか、彼は先月の衆院の解散をしらなかった。
発症したばかりで、世間のニュースどころではなかったのもあるかもしれない。
それでも、彼はこれまで毎回、選挙へいっているし、新聞も毎日読んでいた人だ。政治に関心がないわけでもない。

テレビや新聞、ネットでは、選挙関連のニュースが毎日、大量に流れている。
けれど、それでもメディアに触れることができない人には、必要な情報さえも入ってこない。

病気や貧困でメディアに接することができず、投票の機会を失う人がいる。
そのせいで、そう言った人たちの声が政治に反映されなくなる。

選挙のように、多くの有権者を対象にするのではなく、特定の病を患っている人やある年齢層など、特定の人を対象にする場合は特に周知は難しいと思う。
その人が必要だろう情報をどんな風に伝えるのか。
情報の伝達にもれがあるのかもしれないって対策をうっておくことは必要なんだ。って、改めて思ったし、どうしたらいいんだろうって悩ましくなった。


(写真 2012/11 二上山)

2012年3月11日日曜日

臨月

(2011年11月オーストラリア)

臨月。
もうすぐ産まれてくるのかな?
お腹にいるということが、とても不思議。
定期的にお腹がびくびくするときは、しゃっくりしているのかな?
左から右へ、右から左へお腹を持ち上げているときは、ぐるっと回っているのかな?
お腹をノックされると、とても満たされた気持ちになって笑ってしまう。

震災の時は、私みたいに臨月の妊婦さんも、いまにも産まれてこようとしている赤ちゃんもいたんだなぁって、最近よく想像する。
もしいま私が災害にあったら、どうしたらいいんだろうって不安になるし、とても怖い。

元気に産まれてくることって、とても愛おしいことなんだなぁって思うと、視界がぼやける。

2011年8月21日日曜日

妊娠

(2011/08/20自宅で)
7月に妊娠した。 以来、ものの見方がかわったと思う。 うれしいことには前より笑うようになった。 どんなに小さなことにでも、不安や寂しさを感じるようになった。 好きな音楽を聞いたり、絵をみたりすると、それだけで涙がこぼれることが多くなった。 他人の赤ちゃんを見ると恥ずかしい気持ちになるし、
超音波の機械で赤ちゃんの陰が見えると、本当にうれしくて仕方がない。
やっぱりまた泣いてしまう。 すごいね、大きくなって、って話しかけてしまう。

そのときどきの状況によって、人はいろんなことを感じたり、見えたりするようになると思う。
正解はないし、そのときどきで自分の感じたことに正直でいるべきだとも思う。 ある友人のブログを読んで、 妊娠がきっかけで仕事に追い詰められて、辛いと思っている自分を見直させられた。 それは少し、自分に対してうそをついていることだと思う。 って書いてたら、やっぱり今も涙が出る。

めそめそ