(2011年6月 福島県)
「援デリの少女たち」(鈴木大介)
援デリ、飛ばし携帯、売春と障害、全寮制、震災と援デリ・・・
たくさんの気づきがあった一冊でした。
住民票もないような少女たちを福祉などの社会制度と再びつなげるには、妊娠時がとても適していることを知りました。
家出した少女たちがどこへいくのかを調べて、現場を取材する人と、
民間や公共の福祉施設らをつなげて情報共有することが大切だとも気付かされました。
売春の背景には、貧困問題があるけれど、貧困問題とからみあって少女たちは自由を求めているんだという指摘にも、読後はとても頷けました。
震災では、東北の人と人とのつながりから漏れてしまい、都会へしかいくことができない少女たちもいたということもどきりとした指摘でした。
最後に出てくる妊娠中の少女については、涙を流しながらページをめくりました。
売春は客を心から楽しませてあげて、自分の身体という資本で全力でぶつかる仕事だと、
ほこりをもっている姿はとてもたくましいと感じました。
「ウリのセックスだってかんじんだよ」
っていう台詞は、真剣に人や仕事と向き合っている女の子の気持ちストレートって言う感じなんだろうって思われて、なんかもうかっこよすぎる。
鈴木さんが長期間、丁寧に取材しているのも読んでいてわかりました。
今年読んだルポの中で、この本と石井光太さんの「感染宣告」は、多分わたしがとても心にひっかかる分野なんだと思う。
こんなふうに丁寧に取材して、調べて、それまで届けられなかったようなひとたちの声を現実を、私も知りたいし、書くことができるような人になりたいです。
2012年12月30日日曜日
2012年12月27日木曜日
無償の愛
(2012年4月8日)
読売新聞に載っていた明治大の鹿島茂教授の「映画『レ・ミゼラブル』を見て」がとてもよかったです。先日、この映画をみたときに、こんなにまで読解しなかったことがもったいない。
「愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、
ジャン・バルジャンに象徴される《だれか》が見返りを要求しない無償の愛を《最初》にあたえなければならない」
「現代にあっては、その《だれか》は《あなた》でなければならない」
鹿島教授は無償の愛を与えてくれるのが、キリストから《あなた》へと変わっていったと指摘し、
そのあなたとは「雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され」たとも言っています。
大野更紗さんの「困っているひと」では、最後の最後に人が頼れるのは社会の制度でしかないとしているところがとても印象的でした。
自分のことを思っている家族や友人がいたとしても、自分の障害や貧困などの困難の全てを補い助けてもらうことはとても難しい。
最後の最後に頼ることができるのは、制度や保障などの社会基盤なんだって印象深かったです。
二つの話は、とても近いことを言っているように感じます。
そして、この無償の愛を与えるのは《あなた》であるというところに、社会の中の私にも、その一躍が担われているんだと、気持ちが引き締められた気がしました。
読売新聞に載っていた明治大の鹿島茂教授の「映画『レ・ミゼラブル』を見て」がとてもよかったです。先日、この映画をみたときに、こんなにまで読解しなかったことがもったいない。
「愛を受け取ったことがない惨めな人々(レ・ミゼラブル)を救うには、
ジャン・バルジャンに象徴される《だれか》が見返りを要求しない無償の愛を《最初》にあたえなければならない」
「現代にあっては、その《だれか》は《あなた》でなければならない」
鹿島教授は無償の愛を与えてくれるのが、キリストから《あなた》へと変わっていったと指摘し、
そのあなたとは「雇用の創出や働く喜びを伴った社会事業として実現され」たとも言っています。
大野更紗さんの「困っているひと」では、最後の最後に人が頼れるのは社会の制度でしかないとしているところがとても印象的でした。
自分のことを思っている家族や友人がいたとしても、自分の障害や貧困などの困難の全てを補い助けてもらうことはとても難しい。
最後の最後に頼ることができるのは、制度や保障などの社会基盤なんだって印象深かったです。
二つの話は、とても近いことを言っているように感じます。
そして、この無償の愛を与えるのは《あなた》であるというところに、社会の中の私にも、その一躍が担われているんだと、気持ちが引き締められた気がしました。
2012年12月24日月曜日
感謝祭
(2012年12月 南砺市)
知り合いの農家さん方で開かれた感謝祭。
今年とれたお米や玄米でついたおはぎを友人や近所の人たちでほおばりました。
赤ちゃんから大人まで25人くらいが集まってわいわいがやがや。
初めてでも名前も知らなくても自然と会話が生まれ、子供たちは雪の中を駆け回り・・・
人とすぐにうち解ける方ではないのだけれど、無理せずにいれば少しずつでも会話ができて、気持ちが和んでくる。
今日のこの空間って、私にとってはとてもいいものだったし、大切にしたい。
「みんなに出会えて ありがとう」っていって閉めた感謝祭。
そんなことばが自然に出てくる人になりたい。
知り合いの農家さん方で開かれた感謝祭。
今年とれたお米や玄米でついたおはぎを友人や近所の人たちでほおばりました。
赤ちゃんから大人まで25人くらいが集まってわいわいがやがや。
初めてでも名前も知らなくても自然と会話が生まれ、子供たちは雪の中を駆け回り・・・
人とすぐにうち解ける方ではないのだけれど、無理せずにいれば少しずつでも会話ができて、気持ちが和んでくる。
今日のこの空間って、私にとってはとてもいいものだったし、大切にしたい。
「みんなに出会えて ありがとう」っていって閉めた感謝祭。
そんなことばが自然に出てくる人になりたい。
2012年12月17日月曜日
悪い雰囲気
「選挙の話とかってする人なの?」
衆院選の投票を前に、29歳の知人女性が同級生に言われたという。
女性は「もう、この人とは話をすることもできないかも」
と交友関係にひびが入ったことを不安に感じている様子。
選挙の話ができないことを残念がってもいるようだった。
政治や社会の課題について、議論のみならず、口にすることさえしにくい雰囲気は、
私も感じることがある。
何か話すと、「政治や社会問題を語る人」とカテゴライズされる気がする。
そして、そのイメージはよくない。
気取っているとか、つまらない人とか、難しい人とか、そんなところかな。
こんな雰囲気、なくなればいいのに。
彼女の抱える不安をせめて私はうけとめられるようでありたい。
「選挙の話をしようよ。不安に思うことじゃないよ」って。
衆院選の投票を前に、29歳の知人女性が同級生に言われたという。
女性は「もう、この人とは話をすることもできないかも」
と交友関係にひびが入ったことを不安に感じている様子。
選挙の話ができないことを残念がってもいるようだった。
政治や社会の課題について、議論のみならず、口にすることさえしにくい雰囲気は、
私も感じることがある。
何か話すと、「政治や社会問題を語る人」とカテゴライズされる気がする。
そして、そのイメージはよくない。
気取っているとか、つまらない人とか、難しい人とか、そんなところかな。
こんな雰囲気、なくなればいいのに。
彼女の抱える不安をせめて私はうけとめられるようでありたい。
「選挙の話をしようよ。不安に思うことじゃないよ」って。
2012年12月15日土曜日
ちょっと話す
(2012年11月 南砺市)
自分の考えは幼稚でくだらないことだ
とか、
こんなこと考えているなんて思われて、嫌われないか
とか、
私のことをわかってくれる人なんてだれもいないんだ
と考えてもんもんしまうのは、
自分の気持ちや考えをその都度表現してこなかったせいで、
私自身、自分が何を考えているのか整理できていないからかもしれない。
小さなつらいつらいを積み重ねて、だるさややるせなさを感じ、どうしようもなくなってしまっていたのかも。
他人が自分のことを理解しきれないように、自分に対しても説明して分析することが大切なのかもしれない。
と、㊦の本を読んで思いました。
「その後の不自由」
(上岡陽江 大嶋栄子)
メモ
・自分と他の人との境界線がない
・自分の外側に家族や友人、近所の人など社会との間にクッションのような存在が自分を守ってくれている 自分のコミュニティに私らしさ、自分の価値を見つけることができる。
・回復とは他人を優先していたことが、自分を真ん中にして考えることへとかわっていくこと
・境界線がないと、真ん中に他人がいて、孤立してしまう
・回復とは回復し続けること
・変化し続けることが安定
・ちょっと寂しいくらいがちょうど良い・・・人との安全な距離感
・ちょっと話す、一緒に考える
・愚痴は解決しなくていい
・身体を大切にする→自分を大切にする
・具体的にどんなことが普通の生活なのかを伝えることが大切
・おなじことでも何度も話して自分の中に落とす
・援助者がバトンタッチしていく
・ここまでいきてこれたことにご苦労様
自分の考えは幼稚でくだらないことだ
とか、
こんなこと考えているなんて思われて、嫌われないか
とか、
私のことをわかってくれる人なんてだれもいないんだ
と考えてもんもんしまうのは、
自分の気持ちや考えをその都度表現してこなかったせいで、
私自身、自分が何を考えているのか整理できていないからかもしれない。
小さなつらいつらいを積み重ねて、だるさややるせなさを感じ、どうしようもなくなってしまっていたのかも。
他人が自分のことを理解しきれないように、自分に対しても説明して分析することが大切なのかもしれない。
と、㊦の本を読んで思いました。
「その後の不自由」
(上岡陽江 大嶋栄子)
メモ
・自分と他の人との境界線がない
・自分の外側に家族や友人、近所の人など社会との間にクッションのような存在が自分を守ってくれている 自分のコミュニティに私らしさ、自分の価値を見つけることができる。
・回復とは他人を優先していたことが、自分を真ん中にして考えることへとかわっていくこと
・境界線がないと、真ん中に他人がいて、孤立してしまう
・回復とは回復し続けること
・変化し続けることが安定
・ちょっと寂しいくらいがちょうど良い・・・人との安全な距離感
・ちょっと話す、一緒に考える
・愚痴は解決しなくていい
・身体を大切にする→自分を大切にする
・具体的にどんなことが普通の生活なのかを伝えることが大切
・おなじことでも何度も話して自分の中に落とす
・援助者がバトンタッチしていく
・ここまでいきてこれたことにご苦労様
2012年12月6日木曜日
投票
(2012年9月東京スカイツリー)
「若い人が選挙に行かない理由ははっきりしていて、知り合いが出てないから。投票を頼まれないからです。」
(2012/12/05)
北陸中日新聞で、ドットジェイピーの佐藤大吾さんが指摘していた。
そうなのかも。
なんで行かないんだろうって考えるより、高齢な世代はなんで行くんだろうって考えた方が、若者が投票しない理由がわかるかも。
頼まれた票を入れるのがいいとはいえないけど、
いい意味でもっと政治家が身近な存在になれば、政治にリアリティをもてるのかもしれない。
「若い人が選挙に行かない理由ははっきりしていて、知り合いが出てないから。投票を頼まれないからです。」
(2012/12/05)
北陸中日新聞で、ドットジェイピーの佐藤大吾さんが指摘していた。
そうなのかも。
なんで行かないんだろうって考えるより、高齢な世代はなんで行くんだろうって考えた方が、若者が投票しない理由がわかるかも。
頼まれた票を入れるのがいいとはいえないけど、
いい意味でもっと政治家が身近な存在になれば、政治にリアリティをもてるのかもしれない。
2012年12月5日水曜日
アウトプット
(2012年9月 東京スカイツリー)
「アウトプットして、振り返ることが大切なんだよ」
妊娠前によくいっていた喫茶店のマスターが、久しぶりに店に顔を出した私にこういった。
人は日々、情報のインプットを山のようにしている。
でも、見聞きした情報を何らかの形で外にださないと、情報は流れたまま。
せっかく知り得た情報から何かを考えて学ぶ機会を失ってしまう。
「アウトプット」することで、情報を整理して自分の考えをもたないといけないんじゃないか・・・ーー。
と言う風に、彼はアウトプットの大切さを諭してくれた。
でも、どこにアウトプットすればいいんだろう。
FBとかMIXIは多数の人に読まれるから、自分の率直な考えを述べにくい。
日記っていうのも、習慣付いていないせいか難しそう。
て、しているうちに、 なんだかあっという間に時間がたってしまい、 育休からの仕事復帰まであと4カ月もない。
毎日ぼんやりすごして、あー、このままでいいのか、私。
と思ってこのブログに帰ってきた。
夫が読むかもしれないけど、まぁ、いっか。
だとしたら恥ずかしいな。ま、いっか。
誰に読まれるかもしれないっていうのは気にせずに、気が向いたら更新しよう。
「アウトプットして、振り返ることが大切なんだよ」
妊娠前によくいっていた喫茶店のマスターが、久しぶりに店に顔を出した私にこういった。
人は日々、情報のインプットを山のようにしている。
でも、見聞きした情報を何らかの形で外にださないと、情報は流れたまま。
せっかく知り得た情報から何かを考えて学ぶ機会を失ってしまう。
「アウトプット」することで、情報を整理して自分の考えをもたないといけないんじゃないか・・・ーー。
と言う風に、彼はアウトプットの大切さを諭してくれた。
でも、どこにアウトプットすればいいんだろう。
FBとかMIXIは多数の人に読まれるから、自分の率直な考えを述べにくい。
日記っていうのも、習慣付いていないせいか難しそう。
て、しているうちに、 なんだかあっという間に時間がたってしまい、 育休からの仕事復帰まであと4カ月もない。
毎日ぼんやりすごして、あー、このままでいいのか、私。
と思ってこのブログに帰ってきた。
夫が読むかもしれないけど、まぁ、いっか。
だとしたら恥ずかしいな。ま、いっか。
誰に読まれるかもしれないっていうのは気にせずに、気が向いたら更新しよう。
伝達
新聞や本などの印刷物、テレビやインターネットなどの機械類に接すると、触っていた指先が痛んだり、エネルギーが必要だったりするという。
思考力も衰えてきて、
それまで好きだった読書もしなくなっていた。
「投票日は何日?どうすりゃええの?」
選挙の話題を彼に投げかけて、返ってきたメールにびっくりした。
(メールの仕方も前とは違うみたい。でも、どうやってやっているかまでは聞いていなくてわからないけど)
メディアに接触できないせいでか、彼は先月の衆院の解散をしらなかった。
発症したばかりで、世間のニュースどころではなかったのもあるかもしれない。
それでも、彼はこれまで毎回、選挙へいっているし、新聞も毎日読んでいた人だ。政治に関心がないわけでもない。
テレビや新聞、ネットでは、選挙関連のニュースが毎日、大量に流れている。
けれど、それでもメディアに触れることができない人には、必要な情報さえも入ってこない。
病気や貧困でメディアに接することができず、投票の機会を失う人がいる。
そのせいで、そう言った人たちの声が政治に反映されなくなる。
選挙のように、多くの有権者を対象にするのではなく、特定の病を患っている人やある年齢層など、特定の人を対象にする場合は特に周知は難しいと思う。
その人が必要だろう情報をどんな風に伝えるのか。
情報の伝達にもれがあるのかもしれないって対策をうっておくことは必要なんだ。って、改めて思ったし、どうしたらいいんだろうって悩ましくなった。
(写真 2012/11 二上山)
2012年3月11日日曜日
臨月
2011年8月21日日曜日
妊娠
(2011/08/20自宅で)
7月に妊娠した。 以来、ものの見方がかわったと思う。 うれしいことには前より笑うようになった。 どんなに小さなことにでも、不安や寂しさを感じるようになった。 好きな音楽を聞いたり、絵をみたりすると、それだけで涙がこぼれることが多くなった。 他人の赤ちゃんを見ると恥ずかしい気持ちになるし、超音波の機械で赤ちゃんの陰が見えると、本当にうれしくて仕方がない。
やっぱりまた泣いてしまう。 すごいね、大きくなって、って話しかけてしまう。
そのときどきの状況によって、人はいろんなことを感じたり、見えたりするようになると思う。
正解はないし、そのときどきで自分の感じたことに正直でいるべきだとも思う。 ある友人のブログを読んで、 妊娠がきっかけで仕事に追い詰められて、辛いと思っている自分を見直させられた。 それは少し、自分に対してうそをついていることだと思う。 って書いてたら、やっぱり今も涙が出る。
めそめそ
2011年7月7日木曜日
誕生日
26歳になった日の朝8時半ごろ。
ケータイに知らない番号から電話がかかってきて、取った。
「まきちゃん?」
父の叔父(大叔父)の妻(大叔母)だった。
大叔父は5日前に73歳でガンで死んだばかりだった。
「お誕生日でしょう?おめでとう」
高くて明るい声がケータイの中で響いた。
私の番号は大叔父の携帯に登録されていたのだろう。
大叔母から電話がかかってくるなんて初めてだったし、
親戚といっても、会う機会の少ない間柄。
加えて、5日前に夫を亡くした大叔母の気持ちを思うと、
私はどんな風に話していいのかわからなくなった。
「お通夜ではね、まきちゃんの弔電を代表で読んでもらったのよ。ありがとう」
それは、通夜に行けないときのために念のため出しておいたものだった。
『(略)お悔やみ申し上げます。遊びに行くと、おじさんがいつも優しく迎えてくれて、うれしかったです』
確か、そんな風に書いて送っていたな、と思い出した。
通夜は仕事でどうしてもいけなくて、それでも仕事を早引きしたけど間にあわなかったんですって、
そんな言い訳をしようかな、と思ったけど、何の意味もないと思ってやめた。
「また、遊びにきてね」
そういって、ぎこちなくて短い会話を終えると、私たちは電話を切った。
そしたら涙がぽろぽろ出てきた。
私と大叔父は同じ誕生日。
亡くなった夫の誕生日に私に「おめでとう」といってくれた大叔母の気持ちはどんなものだったのだろう。
私に大叔父を重ね合わせて、ふと、「おめでとう」と言いたくなったのだろうか、
私に何か言葉をかけたくなったのだろうか、
複雑だったろう大叔母の気持ちと
明るく響いた大叔母の声とを思うと、
やっぱり涙がこぼれた
ただ、私は、大叔母が電話してきてくれたことが、うれしかった。
2011年6月23日木曜日
2011年5月25日水曜日
懐かしいかんじ
懐かしいかんじにするには、決まったフォーマットがあるのかも。
リンクするときに出来るんだろうと思う。
それをある程度つくれてしまえるのは、
記憶っていうのは、はっきりくっきりしたものではなくて、
ぼんやりと、ふんわりとしたイメージの中にあるからなんだろうなって思う。
どこかぼんやりとしていた方がリアルだなって感じるときがあるのはそういうことに近いと思う。
原風景
アレ・ブレ・ボケ
(森山大道)
でも、ちょっとずるいと思うのは、
懐かしい感じが簡単につくれてしまうこと。
こんなにも簡単に作れてしまうと、私の頭のなかには
全然原風景と関係がなくても、懐かしさを感じられる
フォーマットがあるのかもしれないって疑ってしまう。
懐かしいと感じることが、なんだかもったいない気がしてしまう。
「懐かしいなぁ」って思うのなら、もうすこし気持ちを込めて思いたい。
2011年5月24日火曜日
記
共同通信が5月20日あたりに配信した東日本大震災で被災した高校教諭の記事を読んでいたら、
なんだかとってもやるせない気持ちになって、思わずコピペした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
絶望、悲しみ、かすかな希望…。原稿用紙約百枚分に上る手書きの文章からは、被災者の生々しい感情が伝わってくる。東日本大震災で家族を失った岩手県立大船渡東高校教諭の工藤幸男さん(56)が、十九日間の避難所生活で書き続けた日記を「生き残りしものの記」と題し、共同通信に寄せた。
工藤さんは三月十一日の地震発生時は勤務先にいてけがはなかったが、同県陸前高田市の自宅を失い、大学生の次男(20)は遺体で発見、妻(53)は行方不明のままだ。翌日から同市立第一中学校で、同中三年だった三男(15)と避難生活を始めた。
「何かをしていないと、おかしくなりそうで」と、普段から読書の記録用に持ち歩いていた大学ノートに日記を書き始めた。被災当初は妻と次男を案じ「二人がだめかもしれない」(三月十二日)「ここで頑張るか。でもどうやって?」(十三日)など、不安に揺れる気持ちを記載。
また「妻の安否を聞かれる。人の顔をよく見てくれ。これが無事な顔かよ」(十六日)といら立ちをあらわに。
その後は「休むのも生きるためだ」(二十日)などと前向きな表現も出始めるが、次男の遺体と対面し「ごめんな、何にもしてやれなかった」(二十四日)「これだけの試練はもう抱えきれない」(二十八日)と、つらく苦しい心情を吐露している。
三月末から教員住宅に三男と居住し、勤務に戻った工藤さん。文字がびっしりと書き記されたノートを手に「書き続けたから、何とか乗り越えられたのかもしれない。それほどにつらい日々だった」と振り返った。
避難所の日記要旨
ごめんな、何にもしてやれなかった
3月11日 永久に揺れ続けるかと思った。車で帰ろうとしたが、もう渋滞。学校に戻り、避難。通勤かばんを枕にして横になる。胸騒ぎしきり。
12日 高田第一中学校に着き、体育館に入る。妻、次男がいない。三男が上の階にいると告げられる。二人がだめかもしれないと話す。
13日 車で捜して回る。帰ってきて三男に手でばってんの合図。必死でこらえている。「引っ越さないか」と聞くと「みんなと高田高校に行きたい」と言う。そうか、そんならここで頑張るか。でもどうやって?
14日 昼食後、長男と義父母やってくる。夕食は菓子パン二つ。
15日 避難所に来てトイレの歴史が一気に五十年逆戻りした。穴に渡した二枚の板の上でする。
16日 妻の安否を聞かれる。人の顔をよく見てくれ。これが、無事なのが分かってほっとしている顔かよ。
17日 避難所で欲しくなるものは歯ブラシ。歯ブラシ一本でこうも気分が変わるのか。時折、どうしても涙ぐんでしまう。二人の死が判明したら大泣きするだろう。
18日 家の跡を見てきた。何もない。(遺体安置所の)体育館の床に並べられている遺体については、書けない。直接自分で見て、こういうものだと心に留めるべきだ。一言だけ書けば、死ぬ間際の表情のままである。
19日 巡回した保健師さんに血圧を測ってもらう。一八〇~一〇〇。
20日 インフルエンザ患者が二人。若いふりして外でボランティア活動をするのは控えよう。休むのも生きるためだ。
21日 新聞に次男の大学が載っていた。六百人が所在不明という。次男もその中にいる。
22日 県立高校の合格発表の日。夜、三男が「(高田高校に)合格だって」と帰ってきた。握手しようとしたら、こぶしを出したので、それを手で包み込んで“握手”。
23日 午後、江刺(の親族宅)へ。夕食までゆっくり布団で休んだ。温かい夕食。本当に生き残って、良かった。
24日 千葉の叔父から、全国紙に二人の死亡記事が載っているというファクスが入る。下矢作小学校へ。名簿を見る。次男が矢作中学校。妻は別の人のようだ。矢作中学校へ。二体が棺(ひつぎ)に納められていた。一つが次男だった。やはり助からなかった。そして、よく早く見つかってくれた。顔を確認した。きつく口を結んでいる。血が一直線に固まっている。苦しくて舌をかんだのだろうか。ごめんな、何にもしてやれなかった。
25日 火葬許可証の発行。書類を作ってくれる職員も涙ぐみながらの作業。奥州市でできるといわれた。
26日 型通りの手順で次男は焼かれた。生き続けたら、どんな人間になっていったろう。静かな曲を丁寧に弾くピアノの腕も捨てがたかった。
27日 妻はこの二カ月、しつこいくらい私の体に触りたがった。二人だけになると、私の服の下に手を入れてきて「ぬぐい、ぬぐい」とニヤニヤする。こんな形での突然の別れを予感していたのだろうか。
28日 これだけの試練を連日加えられると、一人では抱えきれず、くずおれそう(原文のまま)になる。
29日 これからのことは、生きてみなければ何も分からない。無理して明るく前向きな気持ちで(避難所を)出て行こうとは思うまい。それにしてもよく書いた。ボールペンを動かしているときだけでも、つらさを忘れていられると思いたい。
30日 五時起床。毛布を本部へ返却。皆さんにあいさつ。十九日間、本当にお世話になりました。
2011年5月22日日曜日
2011年5月11日水曜日
絵
(2011/02/13 箱根)
よくいく喫茶店のお兄さんに
「きょう行った美術展、なんだかおもしろくなかったんです。どきどきしなかった」
って話をした。
お兄さんは
「自分のことを思うことができなかったんじゃない」
と答えた。
そういえば、Kさんが講演会で「絵を見ることは自分を見ること」って言っていたような記憶がある。
「マイブルーベリーナイツ」では「他人って鏡みたい。みんな他人を見て自分を見てる」
って台詞もあったような。
絵を見ることは自分をみているということでもあるというのは、うなずける。
感覚的に。
それに、自分で思いを巡らさないと何かを感じることはできないというのもそうだと思う。
そして、私の場合、確かに自分に返ってなにかを想像することが前よりも少なくなっていると思う。
今回面白くなかったのも、お兄さんの指摘の通りの部分があるはずだと思う。
でも、もうひとつ。
絵に向かうときにはやっぱり、絵を描いた人がいて、
彼が何かを訴えてこなければ響いてこないことも当然あるはずだと思う。
2011年5月8日日曜日
きゅうじつ
気になっていた富山県立近代美術館の企画展「現代中国の美術」へ行ってきた
3年くらい前か、大学時代に東京のある美術館(名前忘れた)へ見に行った中国現代美術展みたいなのがけっこう面白かったのを覚えていて、
結構期待していた。
んだけど、あんまりどきどきしなくて、ちょっと残念。
いいなぁって思う作品も2つくらいしかなくて、私としてはちょっと物足りない
政府の美術展の作品だったからかなぁ。
久しぶりの美術館だったからかなぁ
もっとぶっとんだ感じがどうしてもほしかったよー
場合によってはきもちわるいくらいがほしかったー
みんな上手だったー
炭坑で働く人の絵が好きだったかなー
うーん、ねむいー。
それよりも、美術館をでて駐車場にいくまでに通る公園の雰囲気がとってもよくて
きもちいなぁ
初夏のかぜ
澄んだ空気
お日様が斜めに入ってきてるー
寝そべって
本よんでたい感じ
ぼんやりー
あー
仕事しよー
わー、ただの日記だー
2011年4月30日土曜日
2011年3月27日日曜日
いんよう
(2010年8月神島)
■家にあった鎌仲ひとみさんと肥田舜太郎さんの「内部被爆の脅威」
■武田邦彦 (中部大学)さんのサイト
がわかりやすいと思う
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
政府とマスコミがごまかしを始めた。これはどうしてもすぐ多くの人が気がついて理解しておかなければならない。
それは「1時間あたりの放射線」と「そこに住んでいる子供が受ける放射線」の問題だ。実に危険なごまかしを始めた。
放射線の強さを「シーベルト」で示すが、これには「年間にあびるシーベルト」、「1時間あたりのシーベルト」、「白血病になるシーベルト」、「瞬時にあびるシーベルト」と4つある.
この複雑なことを利用して、昨日から政府とマスコミは歩調を合わせてごまかし始めた。子供をもつ親はその責任から、絶対に次のことを理解して欲しい。(今、私は計算中)
・・・・・・・・・
まず、法律で決められた「普通の人は一年に1ミリシーベルトまで(自然放射線を除く)」というのは、「1年間」だ。政府発表やテレビで報道しているシーベルトは「1時間あたりのシーベルト」だから、1ヶ月少し(42日)住んでいるところの場合、それを1000倍する必要がある。
白血病になるシーベルトは約400ミリシーベルトで、これは1時間でも1年でもなく、そのままである。だから1時間400マイクロシーベルトのところに1時間いても大丈夫だが、1ヶ月あまり住んでいると白血病になる.
レントゲンを受けると「一度に600マイクロシーベルト」の放射線を受けるが、これは瞬時である.
・・・・・・・・・どのぐらいで何が起こるか・・・・・・
4シーベルト 死ぬ
400ミリシーベルト 白血病
1ミリシーベルト(1年) 法律で定められた限界
・・・・・・・・・・・・
1) 福島原発2号炉から放射線が漏れたときに枝野官房長官が発表した数値は1時間に400ミリシーベルト。
(もし、その場所に1ヶ月少し住んだら、400シーベルトになり死亡.その100分の1で死亡するから1日いたら死亡する)
2) 文部科学省が3月16日に発表した福島原発から20キロの地点(福島県浪江町周辺)の放射線は1時間330マイクロシーベルトであった(1時間あたりと思う)。
(そこに1ヶ月少し住んだら330ミリシーベルトになり、白血病になる数値・・・これをテレビでは「安全な放射線」と言っていた。)
3) 3月15日頃の東京の高い値は1マイクロシーベルトぐらいだった。
(東京に1ヶ月少し住むと、1ミリシーベルトで、1年ぐらい住むと子供はかなり危険。胃のレントゲンが1回で600マイクロシーベルトだから、1ヶ月で2回のレントゲンを受けることになる。)
・・・・・・・・・
【政府のトリック】
政府やマスコミは「福島原発から20キロのところの放射線は、330マイクロシーベルトだから、胃のレントゲンの2分の1」という言い方をしている。だから安全という.
しかしそれは「そこに1時間しかいない人」の事であり、住んでいる人ではない。だから、1ヶ月あまり住む人は330ミリシーベルトを浴びることになり、子供も親も白血病になるだろう.
すぐ待避しなければならない。決して「安全な放射線」ではないのだ。
・・・・・・・・・
今、私(武田)は少し動揺している.
もし文部科学省が16日に発表した値が正しく、私の計算があっていれば、政府は直ちに浪江町の人をもっと遠く(風上)に待避させる必要があるからだ。
でも、まったくその気配はない.なぜなのか?
私の計算が間違っているのか? それでは浪江町の少し南の人はどうなのだろうか?たとえばある地点で測定してみるとその3分の1の100マイクロシーベルトのところに住んでいる人は、3ヶ月住むと白血病になる.子供はさらに早いかも知れない。
もう一度、慎重に考えてみる.もしこの計算が本当なら大変だが、どこかに間違いがあることを願う.原子力の専門の人、チェックしてください。もし、この計算が正しいと大変ですから。間違えていたらすぐ訂正します。でも重要な事ですから。
南無三! 私の勘違いであってくれ!
(平成23年3月17日 午前9時30分 執筆) 武田邦彦
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
■メモ
肥田さんは著書で
「放射線の量がある一定以下であれば人体に全く問題はない」
と
「自然に存在する放射線の核種も人工で作り出した放射線の核種も人体に与える影響は全く同じである」
とする政府の考え方を「間違い」って指摘してる。(101ページ)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※一部フォントが整わないー
2011年2月27日日曜日
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