2007年12月22日土曜日
ウォーキングマシン
そこで思い出しました。
私はウォーキングマシンが怖いです。
嫌い
というのは少し違って、
怖い
のです。
歩いても歩いても、
どんなに全力を出して走っても、
決して前にはすすまない。
周囲の景色は変わることなく
ただマシーンのモニターが秒を打つだけ。
当然なんだけど、
何言ってるの!??って感じなんだけど、
脂肪は落ちるかもしれないけど、
何で走ってるんだろう。
絶対前には進まないのに。
って思った瞬間、自分のやっていることに何の意味も感じられなくなる。
彼は、マラソンをしながら、身体的なつらさと精神的な辛さを感じながら、
何で走ってるんだろう
って思ったらしい。
そしてそれは、
走った後にしかわからない
らしい。
そしたらね、
私が探している意味も いま の土俵には存在しなくて、
過去にしか存在しなくて、
そしたら何かのために生きているのってとんちんかんだね。
私は今の私のために生きているのかも。
未来への意味を見出すことにしか生きていなかったら、
人はやっていけないかも。
ね、話してくれてありがとう。
ただ、ウォーキングマシンは、
やっぱり怖い。
2007年10月1日月曜日
沖縄で見た景色
今日の朝刊一面で 沖縄の県民大会の記事を読んで http://www.okinawatimes.co.jp/day/200709301300_01.htmlNHKで沖縄の「お笑い米軍基地」ドキュメンタリーを見て http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
夏休みに行った沖縄で見た景色を思い出しました。
夏休みの沖縄旅行。
どうせ一人だし ということで バカな私は 那覇から宜野湾市の普天間基地へとチャリで向かったのでした。
多分 2時間30分くらい。
炎天下のなか坂道だらけで降ったり登ったりを繰り返し、
もう帰れないんじゃないだろうか、 なんでバイクを借りなかったんだろうとめちゃめちゃめちゃめちゃ後悔しながら基地までたどり着いたのでした。
フェンス越しに見る基地は、なんともつまらなくて、 あぁ・・・なんか起こんないかなぁとちょっといけないようなことを考えながらひたすら坂道を登ってました。
そんなときに
なんか墜落するの!!???
ってくらいとりあえずめちゃめちゃでっかい音で 飛行機が頭上を過ぎていって
いや
かなりびっくりしてしまった。
米軍飛行機でした。
これは・・・・住めないわぁ・・・と思ったりしながらやっぱりひたすら坂道を登りました。
2004年8月に沖縄国際大学にヘリが落ちた現場へ行ってみると おぉ・・・基地反対のポスターなどなどがあるあるある・・・・。 とりあえず夏休み中の大学に侵入して、 警備のおじちゃん(めっちゃ優しい♡)と事件の話を聞いたりしながら サークル棟へ~。
ふむふむ 大学の自治会が新聞出したり基地問題にかかわってるなぁという情報を入手し自治会ドアをノック!!!
突然の私の登場に部屋にいたお兄さんはびっくりしてたけど、いろいろ資料もらったりちょっとだけお話。
そのあと人気のタコライスやさんへいってとりあえず資料を読みながら休憩。
タコライスじゃなくてタコスを選んでしまって、あぁ・・・間違えちゃったよぉってへたってた気がする。 っていう様なことをしていた日がありました。 (この日は那覇に帰ってから友達ができて、クラブ行ったり夜中にビーチ行ったり飲んだりと朝まで遊んでたっていう、今思うとかなりすごい日だった)
宜湾市は車なら那覇からきっと30分くらい。
自転車だったら別だけど、結構那覇から近いところにあるこの町は、那覇の国際どおりとは雰囲気が全然違います。
NHKの↑で紹介した番組の中でも沖縄の人が感じる「国際通り」の異様さ、違和感を語る場面があったけど、 確かに、国際どおりは那覇のメインストリートで、若者が集まって、でっかい人形がたくさん道においてあって、活気があって夜中までやってて元気がいいステキナところだったけど、 きっと沖縄に住んでいる人にとっては、現実味のない街なのかもしれない。
いや、国際通りを批判してるんじゃなくて、 観光地ってきっとどこもそんなもので、特産物とか観光名所って地元の人の生活とは全然違うのはきっと当然。 (っていうか、私、国際通りめっちゃ好きです♡) 石川出身の私も、観光客だらけの100万石パレードとか、意味わかんない社でとりあえず立派になった金沢駅を見て、他人事みたいに「へぇ~」と思ったりするしね。 華やかにみえるものの裏にあるのはとても暗くて、でも実際にある現実だったりする。
・・・もらった資料を読みながら私が感じたのは、 編集者たち(もしくはそこに文章を載せた人)の米軍への怒りや憤り。 過剰すぎやしないか、と思うくらいに暗くて複雑で 私は実のところ少しひいてしまった。 同時に、ほんの少し前までパスポートがなければ行くことのできなかったこの島の問題は、きっと今の私にはまだまだ理解しきれない。 朝刊を読みながら、 集まった11万人の人々の思いを考えながら、(ちょうどその公園でも休憩した★広かった~) 夏休みに見てきた沖縄を思い出しました。
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2007年8月10日金曜日
おしごと
バイトからの帰り道、JR新橋駅の日比谷口を出て小路に入りました。
大きなパラソルの下にはブラシ、手ぬぐい、ストッキング、
そして靴磨きの小さなおばあさんがちょこんと座っていました。
沢村ちづさん(86歳)。
この場所で靴を磨いてもうすぐ58年。
私が声をかけると、当然のようにそう答えてくれました。
58年、です。
私の年齢の三倍近く、
父が51歳だから父の人生よりも長く
ここで過ごしてきたのです。
朝7時5分にやってきて、夜7時を過ぎるまで。
働く時間は1日12時間。
ピシッとスーツを着こなしたビジネスパーソンが木製の靴台に足を乗せました。
沢村さんはさっと両手にブラシを持ってささっと靴をなでます。
ブラシとブラシがカチカチぶつかります。
力の加減を変えながら、仕上げにきゅきゅ。
靴はきれいに磨かれて、太陽の光を鈍く反射していました。
「お父さんが死んで、それからからね。
息子たちに食わしてやんなきゃならんしね。
その子も昨年定年退職したわよ」
小さな手を口に当て、上品に、そして屈託なく笑しました。
目が優しくて私も思わず微笑んでしまうのです。
新橋はビジネス街。
長い間、多くの人々の靴を磨いてきたことでしょう。
沢村さんに磨かれた靴を履いて仕事場へ向かい、彼らはまた、
誰かと仕事をしながらつながっていく。
パラソルの外は気温30度、汗が滴ります。
それでも皆、汗を流して働き、家族を養う。
そして、お金を得ながら社会を作っていく。
靴を磨いて息子を育てるのはおそらくとても大変だったと思います。
そんなの想像もつかないけど、想像もつかないほどものすごいことの気がします。
でも、沢村さんは今日も誰かの靴を磨きながら優しく微笑んでいるはず。
家から持ってきたというバナナを手渡され一緒にほおばりました。
「あら、おいしいわね」
靴磨きの合間に食べる沢村さん、私よりも何倍もおいしく食べていたのだと思います。
2007年8月3日金曜日
『善き人のためのソナタ』
最近波乗りジョニーにはまってます。 アデオに行って知った!
もっと大きなカテゴリーで言うと、高級な豆腐にはまっています
外食するなら高級な豆腐(1丁150円くらい)を楽しんだほうがいい気がしてきました安!
とってもとっても感激してしまいました。
『善き人のソナタ』を見てきました。
http://www.yokihito.com/
~すとーりー~
東西ドイツ統一5年前(超すごい!この設定!)の東ドイツの物語です。当時の東ドイツには、シュタージと呼ばれる強大な監視システムを担う監視者がいました。監視、共産主義に背く人々の言論を押さえることなので、つまりそれは思想の監視だと思います。あるシュタージュはとある芸術家を監視しだします。国家のため、社会主義のために彼は当然のこととして芸術家の私生活を聞き続けます。しかし、盗聴器から聞こえる人間味にあふれた言葉、交わされる愛、美しいソナタ。
「この曲を本気で聴いたものは、悪人にはなれない」
次第に、シュタージュの内面に変化が現れだすのです。
~思ったこと~
まず、考えたのが、「自由」ということ。
自由とは「考えられる」「思想の自由」なのであって、
人はこれがないことには満足しえないのだろうと思いました。
それはこの作品の中にもいろんなキーワードとしてあらわれていると思います。
芸術、セックス、自殺、盗聴
東ドイツでは自殺者が増えすぎたためにその数を数えなくなり、
自殺者のことを「自己殺人者」と呼んだそうです。
自分で死を迎える能動性を否定されるのです。
それでも、自分の意思でできる【自殺】があるからこそ、思想を規制された多くの東ドイツの人々が自殺していったんですね。
ぞくっとします。
気になるのはセックス。
この映画には結構この場面が出てくるんですが、私はこれも芸術と並んでキーワードなきがしています。
それはパートナーに対する愛の表現であって、数字や定義されたものでない曖昧な人間らしさ。
(人間らしさって言葉って、曖昧でなんだか逃げみたい~まいっか~)
娼婦との無機質なセックス場面もあるのですが、両者はとても対比されていてその違いがくっきりしている。
辺見さんが「単独者」について語っていました。
人は共同体からはなれないことには主観的に考えることができなくなってしまうのだと。
単独者とは「自己」のことだと思います。
自分で考えることがないから大きいものに流される。
断固とした拒否をすることができない。
そうであってはいけないから、単独者でありなさい、と。
きっとこのシュタージは共同体内にいることに何の疑問ももたづに生きてきた。
国家のために生きることが自分の幸せだと信じてきた。
でも、芸術家と出会うことで初めて彼は「単独者」
になろうとした。
にゃ~~~~~~~ん泣けるねぇ・・・
なんだかどこにやられているのか曖昧だけど、私、こういうのにすっごく弱い~・・・
そしてもうひとつ、この「時代性」
パンフレットによると、この時代は今の今まで誰も言及できなかったくらいタブー視されていたものだそうです。
まるで「1984」でえがかれている管理社会。
ビックブラザーズ!!
本当にこんな時代があったのならば、
この時代は後世に伝えなければならないって思います。
管理する、管理されるということは、思想の弾圧、人間らしくあることの否定にまでつながるのだと語っていかなければならないんじゃないかな。
どこまで「リアル」を想像できるのか。
これも辺見さんの話からだけど、
たとえば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。
この映画には死刑執行のリアルさが事細かに描かれている。
人が死ぬとは、頚骨が折れることであり、汚いことであり、泣き叫ぶものであり、体を固定されるものであり、
こういう想像力のなさは世界のゆがみをつくってしまう。
ゆがみはいつの間にか広がって気がついたらもう取り返しがつかないところにきてしまう。
だから想像しなくちゃいけない、同時に歴史も学ばなくちゃならないんだろうな~
『1984』が好きな人には是非『善き人のためのソナタ』をおすすめ
だって舞台が1984年で絶対にかけてあるんだもん!(誰もパンフレットのなかでいってなかったから不安だけど・・・)
2007年7月29日日曜日
辺見庸さん
で、今朝のバスで帰ってきました。
ただいま~わーい
辺見庸さんは共同通信の記者でしたが、
途中で辞めて、その後は小説やルポルタージュを書いています。
代表作の『もの食う人々』が私にとって初めての本でした。
小学生の頃に父がこの本を読んでいたのを思い出し、なにげなくBOOK OFFで手に取りました。
大学2年生の夏でした。
読んでみて、驚きました。
ただ、世界中の食について書かれた本かと思っていたのですが、
食を通して見える「人間」を描いた作品でした。
なによりも、彼のその言葉遣い、文章のテンポ感、語彙の多さに驚愕しました。
どうやったとしても、自分にはこんな表現ができない、と一気に心をつかまれてしまいました。
その後、何冊か彼の本をよみました。
すごく腹立たしくなる時もあるし、イライラすることもあるのですが、ストンと心に落ちてくるような言葉の遣い方、考え方、生き方がとても魅力的でした。
昨年、明治大学でも講演会がありました。
何用かは忘れちゃったんだけど(その程度だったのかも・・・)、こんなに近くでやってたのにいけませんでした。
かなり(笑)尊敬している先輩が行ったというので、話を聞くと、「余命幾ばくかだよ、もう最後だったかも」っていう情報もあって、もう行きたくて行きたくて・・・なんで行かなかったんだろう(ノ_・。)みたいになってしまっていたので、今回この講演会を見つけると、すぐに予約を入れたのでした。
(ってかやっと前置き終わった。なが!!)
おりる駅を間違えちゃって、一緒に間違えたお兄さんに助けられながら(めっちゃいい人や~)たどり着くと、会場はすごい人!!!
なんじゃこれ~ってくらい並んでましたが、お兄さんのおかげで彼の友達のいる前の方までつれてってもらいました(ほんとにいい人すぎや~)
さて、ここからは尊敬する(笑)先輩をまねて彼の言葉をちょっとだけ載せてみます。
「あらゆるものが、記憶が、ことばが資本に飲まれている」
「日常に埋め込まれているたくさんの死」
「本当の日常に裂け目を見つける作業を私たちはしていない」
「メディアはは資本の潤滑油にしかなっていない」
「意識が何者かに収奪されている」
「メディアが守ろうとするのは日常」
「想像を前提としない文章はない」
「明文化されていない暗黙の了解、黙契」
「i would prefer not to~ やんわりとした、しかし確固とした拒否。拒否をする単独者」
「単独者にならないと人は想像することができない」
「日本の中で探すことができないのは例外」
キーワードになったのは「日常」「ことば」「記憶」「単独者」「想像力」「共同体」などだったと思います。
やっぱり、彼の言葉は一言一言に重みがあって、ストンストン落ちてくるみたいな感じでした。
そのたびに涙もろい私は涙を流してしまいました。
クラブという場所での今回の講演会は、彼にとっても「表現者である単独者が集まる場」としてとても力がこもっていたみたいでした。
京都まで行ってよかったです。
言葉を交えた人も何人かいて、またつながりもできたかなと思います。よかった
読んでいた森達也さんの本の内容がかぶってかぶって驚きました。(夏休みの森さんの授業超楽しみ~(〃⌒▽⌒〃))
でも、
辺見教には絶対になりたくないし、
彼の言葉の強さの裏に疑問を感じられるようにならにといけないとも思う。
でも、そのためには彼以上に経験して勉強もしないといけないんだろうなぁ・・・
2007年7月3日火曜日
あじさい
二二歳の誕生日を迎えた私は、長野県上田市の無言館にいた。
雲が空を覆い、薄暗く、今にも雨が降り出しそうだ。
大学近くの喫茶店主が経営しているというこの美術館に、私はどうしても足を運んでみたかった。
ここには、戦時中に兵隊として戦地に赴き、そのまま死んでいった名のない画学生たちの遺作が数多く展示されている。
一枚の絵が私の心をとらえた。
それは千葉県の浜田清治の「あじさい」だった。
彼は27歳の若さで命を落とした。
色はなく、ただ大きな線画だった。
よく見ないことには何の花かがわからない。
花弁は小さく、そして少ない。
花というよりも、あじさいの茎や葉や根元の方が生々しく描かれている。
私はそこに立ち止まったまま、なかなか次に進むことができなかった。
その線のタッチを目で追いかける。
館内の静けさが私の気持ちをよりいっそう高揚させた。
六月の湿った土をしとしと踏みながら無言館を後にした。
三時間ほど歩き、別所温泉にたどり着くと、ある民家の老人が腰を大きく曲げて、あじさいの根元に何かを置いている。
「これはねぇ、肥料を食わしてやっとるのさぁ。大きな花をつけてほしいからねぃ」
何をしているのか尋ねると、老人は目だけで私を見上げ、こう話した。
しわしわの彼の腕は、か細いが力強く土をなでる。
ふう、とひと息ついた時、彼の細い目はもっと細く、優しくなった。
無言館で見た「あじさい」。
愛する家族を遺し、祖国を発つ前に、浜田は美しい花の支えとなる茎や根を力強く描いたのかもしれない。
それは、別所温泉で出会ったあの老人の優しい目のように、浜田を支え、その遺作を大切に守った家族の想いを想像させる。
誕生日のこの日に、どうしても無言館へ行きたかった。
私は、戦争の悲惨さ、むごさを感じたかったのかもしれない。
それを知ったつもりになって、成長しようとしていたのだろう。
しかし、私が上田で見たものは、いつの時代にも存在しうる、雨に負けない強さと、その背景にある支えだった。
梅雨の季節。
私の心には、あの「あじさい」が浮かんでいる。
老い
今日、山本宗補さんの写真展へ行きました。
2007年6月15日金曜日
メッセージ
とても大切な人だった。
今朝の8:45だったという。
父からの電話をとったのは御茶ノ水駅改札前。
重たい荷物をかかえて、改札を抜けようとしたときに着信があった。
知らせを聞き、赤信号になる前に、私は横断歩道を駆け抜けた。
彼女は私の曽祖母。
97年間の彼女の人生は、今日幕を閉じた。
能登沖地震後、急に様態が悪くなった。
それでも、しぶとく、しぶとく彼女は生きた。
「生きる」ということ。
「勇気」ということ。
「学ぶ」ということ。
年をとっても、決してやめない「学ぶ」姿勢に、
私はどれだけ「生きる」ことへの「勇気」を感じて、感銘を受けて、影響されたことだろう。
4月、能登沖地震後に石川へ帰ったとき、 被災地の門前に住む彼女の部屋を訪ねた。
私が幼いときから、話といえば、自分の昔のことばかり。
しかし、その日は違っていた。
「まきちゃん、本当に愛する人と結婚しなさいよ。
本当に愛する人を見つけなさいよ。」
これが私たちの最後の会話となることを知っていたのかもしれない。
彼女の目には涙が浮かんでいた。
明治生まれ。
曽祖父とは結婚式で初めて対面した。
苦しんで、悩んで、あきらめて、妻として、母親として生きてきた。
彼女のメッセージはストレートだったが、私の心には深い海を残す。
今日、彼女の人生は幕を閉じたが、 誇りである曾祖母は、決して私の心から消えることはないだろう。
2007年4月16日月曜日
Red Sky Walker
私の誕生年誕生日はマヤ暦だとこのような呼び日になるそうです。
3月に金沢へ帰って、メロメロポッチというカフェのおじちゃんと
熱くお話していると、マヤ暦の話になりました。
マヤ暦って、とってもロマンチックな暦のようです。
ちゃんと説明すると、とっても長くなってしまうだろうし、
大体私が理解できているかというと、怪しいので(笑)、
言いたいことを中心に超簡単に。
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マヤ暦は、一年が13ケ月で構成されていて1ケ月が28日になっています。
28日周期というのは、7で割り切れるから、毎月28日は土曜日で終わって
月の始まりである1日は日曜日から始まります。
1年を365.242128日と定めていて、
何年かすると、1日周期がずれてあまってしまう日があるそうです。
それが「時間をはずした日」と呼ばれる日。
この日は7月26日にあたるらしく、マヤ暦では新年は7月26日から始まります。
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「時間をはずした日」。
暦の中に、時間のない日があるのです。
急がなくてもいい。
時計なんて見なくてもいい。
だって時間なんてないのだから。
この日は時という観念が存在しなくなる日なのだから。
人々はゆっくりゆっくり、時間を忘れてこの日を過ごします。
「この日を」という表現からおかしいかもしれないね。
「日」なんて存在しないのかもしれない。
「すごいな、これは・・・。」
私の暦を調べてくれてるのに、
「へぇ~・・・」
ポカーンとしている私におじちゃんは、
「真の暁だろ、まあきちゃん。」
確かにすごい!!
Red Sky Walker
気に入ってしまいました。