mixiの秋葉原通り魔殺人事件コミュニティを読んでいたら、 興味深くて結構時間がたっていました。
事件からもう2週間というのに、たくさんのコメントが並び続けています。
それくらい多くの人にとって、 大きなインパクトのある事件だったんだなって再確認。
トピックの種類も
・加藤容疑者について
・マスコミの報道について
・健全さということについて
・秋葉原という場所について
・遺族のことについて
・野次馬について
などなど様々。
平野啓一郎さんの『決壊』が
どうやらこの事件とだいぶかぶった内容のようで、
NEWS23で紹介されていました。
(読んでみたい、けどまだ発売でないらしい)
(つまり、ある程度、この事件について予測できたことがたくさんあった ということだと思う)
「あるところまで耐えることができても、モノが壊れてしまうように、 人間だって我慢しきれない一線を越えたら壊れる存在なんだ」
「人の限界を思う優しさがあってほしい」
というようなコメント。
おととい、ある人に、
「事件が社会のせいだ、なんていいたくない。個人の問題であるべきだ」
と言われたけれど、 私は同意しきれなかった。
被害者でも加害者でもない第三者の立場の私は、 この事件がおこるコミュニティ(世界、日本、東京などいろいろ区分できるだろうけど) に生きていると認識しているのなら、
「私がするべきであること」を考えてみる必要があるきがしてる。
かいてみて、今日は かなり当たり障りのない内容でしかないことに、 ちょっと不満足なブログになってしまいました。
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