JR
そこには大きなパラソルがひとつ、毎日開いている。
パラソルの下には靴磨きの小さなおばあさんがいる。
沢村さん(87歳)だ。
声をかけるとしゃんと背筋を伸ばして、上品にほほ笑んだ。
沢村さんは夫を亡くした後、60年以上靴を磨いている。
私の年齢の三倍近くと思うと驚きだ。
この小さな手で靴を磨き、一人で息子を育てた。
その息子も、停年退職したという。
靴磨きを見せてもらった。
お客が台上に足を乗せると、小さな手に持ったブラシをカチカチ鳴らせて磨いていく。
つーんと鼻につくニスを、ストッキングでさっさとのばした。
靴は太陽の光を鈍く反射させた。
「職人技だ。」
思わず言葉を漏らした私に、沢村さんはもう一度、にこりとほほ笑んだ。
いつの間にか沢村さんのパラソルの前には、5~6人の列ができていた。
「お母さん、いつもありがとう」
ピシッとスーツを着こなした50代程のサラリーマンが、ビニル袋に入れたお茶とバナナを手渡した。
「あんたも仕事、頑張ってね」
満足そうに帰っていく彼の後姿を見ながら、私はお客と靴磨きを超えた、優しさを感じていた。
帰り道、電気で動く自動靴磨き機を見つけた。
値段は一回100円。
沢村さんの靴磨きの五分の一の値段だ。
沢村さんが磨いてくれるよりも速く、美しく、効率的だろうが、その機械の前に立つ人はいない。
効率化が叫ばれていても、人はそこから見落とされるものを恋しく思う。
少しくらい抜けていたり、遅くたっていいじゃないか。
「ありがとう」と言い合えることが何よりもうれしい。
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