2008年6月15日日曜日

寒満月が割れるくらいに叫びたい

「僕たちは知らなかった。
知るべきことを知らなかったということを、まず考えたい。」


今日行ってきた「福岡事件」について考える
「叫びたし 寒満月の割れるほど」というシンポジウムで

森達也さんがこういいました。
「福岡事件」をシンポジウム会場にいる多くの人が知らなかったということ、
こんな重大事件を知らなかったということが、まず、問題なんだ、
と森さんは話しました。


  福岡事件とは1947年の第二次世界大戦直後に福岡で起きた殺人事件です。
  当時、容疑者としてつかまった二人は戦後初の死刑囚となりました。
  しかし、二人とも一貫して無実を主張。
  冤罪の可能性の高い事件で、
  シンポの話によるとかなり傲慢な裁判や取調べが行われていたようです。
  「叫びたし~」を獄中で書いた、容疑者の西武雄さんは
死刑が実行されています。

  (今日のシンポジウムからだけでは、冤罪があったかどうかの可能性について
  私は何にもいえないから断定はしません。。。)


森さんの本を何冊か読んでいたり、すごく時々だけどシンポジウムへ出かける私には、
これはよく耳にする台詞です。

でも、やっぱりそうだな、と思います。


「知っているということと気づくということは違います」

とも言われていたけれど、
たとえ福岡事件について、どこかで聞いたことがあったり知っていたりしても、
実際、アタマから何処かに飛んでしまっているのです。

それは、94年ルワンダ虐殺にも、
ダルフール紛争にも、
この前おこったケニアでのデモにも、
ミャンマーのデモにも、
チベットでの弾圧にも、
いえることだと思います。

日本で起こった問題でなかったり、
昔の話であったりと、
身近な事件ではないからかもしれない。

でも、「多数の人権」を考えるときに、まずは「ひとりの人権」から守るべきように、
いままでおこってきたたくさんの事件から検証する、リテラシーみたいなものを、
失わないようにしないといけないな、って
それはすごく難しいんだけど、
でも、そう思いました。

「叫びたし 寒満月の割れるほど」(西武雄さん)

もしも無実であったのならば(きっとそうなんだろうけど)、
獄中で、世界の理不尽さに、なにを思うのだろう。

叫びたい。




                                 (2008年3月新橋)

0 件のコメント: