
秋葉原での通り魔殺人事件。
その時私は御茶ノ水にいたし、
あまりにも自分に身近な場所での事件だった分、
ニュースを聞いたとき、寒気が走りました。
友達が巻き込まれていたかも、とか
私がその場にいた確率はゼロではなかったと思うと、
とてもリアルに感じました。
今日の英語の授業でアメリカ人の先生が言いました。
「でも、NYではそんなこと毎日なんだよね。
残酷な事件だったけど、それでもアメリカに比べれば日本は治安がいいよ」
そしてこういう事件は、ありえることなんだ、という話を数の問題から話し始めました。
もしも1パーセントの人が狂人でおかしい奴だったら、
1億2500万人いる日本だと125万人くらいの人がおかしい人で、
アメリカだと3億人いるから300万人くらいがおかしい人。
もっと小さな確率で、
1万分の1の人が狂気的に人を殺すような人であったとしても、
日本だと1万人くらいが当てはまる。
そうやって考えれば、これは例外中の例外の人の犯行であって、
考えても仕方のない話、ということになります。
でも、本当にそうかな。
いろいろ検証しないといけないことはあるとは思うけど、
なにを考えるべきなのかは眠たいから省きます。
でもでも、
この話の主体である、先生やもしくは一般の人が、
どうして狂気的になりえないことが前提なんだろう。
どうして自身が狂ってないっていえるんだろう。
ルワンダの虐殺だって、
ホロコーストだって、
ケニアの暴動だって、
戦争のときの日本人だって、
浅間山荘でのリンチだって、
ホームレスへの襲撃だって、
「戦争だから」と簡単に人を殺して、
もしくはそんな理由さえもなく暴力をふるうって、
狂気的じゃないかな。
それでも、当事者たちにとっては、
それは正解で正義で正常であったはず。
正義をかん高く語ることは、恐ろしいことでもあるとおもいます。
この事件の容疑者を擁護するとかそういうことではなくて、
先生のその数の理論には納得がいきません。
それを英語でいってみたけど、わたしの speachではうまくいかず、
不完全燃焼。
ということでここでつぶやいてみました。
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