2008年6月10日火曜日

数の話


秋葉原での通り魔殺人事件。

その時私は御茶ノ水にいたし、
あまりにも自分に身近な場所での事件だった分、
ニュースを聞いたとき、寒気が走りました。
友達が巻き込まれていたかも、とか
私がその場にいた確率はゼロではなかったと思うと、
とてもリアルに感じました。

今日の英語の授業でアメリカ人の先生が言いました。

「でも、NYではそんなこと毎日なんだよね。
残酷な事件だったけど、それでもアメリカに比べれば日本は治安がいいよ」

そしてこういう事件は、ありえることなんだ、という話を数の問題から話し始めました。

もしも1パーセントの人が狂人でおかしい奴だったら、
1億2500万人いる日本だと125万人くらいの人がおかしい人で、
アメリカだと3億人いるから300万人くらいがおかしい人。
もっと小さな確率で、
1万分の1の人が狂気的に人を殺すような人であったとしても、
日本だと1万人くらいが当てはまる。

そうやって考えれば、これは例外中の例外の人の犯行であって、
考えても仕方のない話、ということになります。


でも、本当にそうかな。

いろいろ検証しないといけないことはあるとは思うけど、
なにを考えるべきなのかは眠たいから省きます。


でもでも、
この話の主体である、先生やもしくは一般の人が、
どうして狂気的になりえないことが前提なんだろう。

どうして自身が狂ってないっていえるんだろう。

ルワンダの虐殺だって、
ホロコーストだって、
ケニアの暴動だって、
戦争のときの日本人だって、
浅間山荘でのリンチだって、
ホームレスへの襲撃だって、


「戦争だから」と簡単に人を殺して、
もしくはそんな理由さえもなく暴力をふるうって、
狂気的じゃないかな。


それでも、当事者たちにとっては、
それは正解で正義で正常であったはず。
正義をかん高く語ることは、恐ろしいことでもあるとおもいます。


この事件の容疑者を擁護するとかそういうことではなくて、
先生のその数の理論には納得がいきません。

それを英語でいってみたけど、わたしの speachではうまくいかず、
不完全燃焼。
ということでここでつぶやいてみました。

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