2010年12月11日土曜日

写真12月11日

(2010/08/神島)


今月に入っていろんなことがあった。
うーん、
これでいいのかなぁ。
いいんだと思う。
いろんなことのせいで寝不足だ。

しっかりしないとー。

瞬きくん

2010年11月4日木曜日

写真11月4日

(2010/11/03:高岡市木町)

優しい人になりたいと思う。
他人がどんなことを考えているのか、思っているのか感じられる人に。
でも、それは難しいことだと思うし、
「優しい人になれた」と思うことがこれからあるとすれば、
とても危険だとも思う。

そんなに私は優しくなれない。

2010年10月24日日曜日

つき

口田さんにもらった写真↑


携帯からアップできるように設定したら、できた☆感激☆

2010年10月3日日曜日

職業は恋人

(2010年神島)
フォルツァ総曲輪でスティーヴン・ソダーバーグ監督の
「ガールフレンド・エクスペリエンス」と
「バブル」
を二本続けてみてきた。

どちらも結構好きだった。

時給18万円を稼ぐ高級娼婦「チェルシー」の話。自分の仕事を理解してくれる彼氏もいる。2008年のリーマンショックで不景気なNYが舞台。大統領選や経済の話が映画のスパイスみたいにきいている印象。チェルシーが「人格論」とかいうのを絶対的に信じているのもかわいい気がした。久しぶりにあんまり説明のないタッチの映画を見たと思う。こういう空気感の作品は結構好きで満足。

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娼婦の経験はないけれど、どういう気持ちがするものなのかというのは時々考える。
見る映画や読む本に結構出てくるからかもしれないけど。

一番に思い出したのは「ヨコハマメリー」だった。
真っ白のおしろいを塗ったお顔で横浜をうろうろしていたい娼婦。所謂パンパン。
立場はことなるチェルシーとメリーさんだけれど、
がちがちに化粧してきれいな洋服を着込んで素顔を見せないあたりや、向上心があって自分の生き方にまっすぐな感じが結構にている気がした。

セックスというのは結構個人的で、
自分の内側と深く関わってくるものの気がしている。
普段どんなにかっこつけていい女やいい男を装っている人でも、
服を脱いで、裸になって、抱き合うセックス中は
単に快楽を求めているためだったとしても、
深い愛を確かめ合うためだったとしても
自分の内側をさらけださないわけにはいかないように思う。
きれいに身ぐるみをはがされたとき、人はセックスに快楽を感じられるのではないかな。
もし、↑の話がだいたいあっていたと仮定したら、セックスを売る商売は、客に快楽を販売することで成立する。
娼婦は、相手の装いをはがしてあげるために頑張らないといけなくなってくる。
客には相性の合う人や合わない人っていろいろいるわけだから、セックス中に個人的になっては商売は成立しない。
そのために、娼婦は何重にも心に仮面をかぶらなければならないんだろうし、
それはかなりきついことで、我慢や苦痛の上に成り立っていることなんじゃないかな・・・。


ただし、いずれの作品もこの大変さだけで語りを終わらせないところがけっこう気に入っているところ。
二人とも仮面をはずすとどうなるのかっていうのが完全にはわからない。
↑の話の全否定みたいなことをいうけれど、もしかしたら全然仮面なんてかぶっていないのかもしれないし、娼婦であることを含めて、もうこのままでほんとうの彼女たちなのでは、とも感じさせる。
メリーさんは最後に化粧をとった顔が「ほんとうの彼女」を暗喩しているようで、私には仮面をかぶり直しているんじゃないかとも思える。
チェルシーも個人的に思いをよせた男に会って涙目になるシーンは、彼女のなかで微妙なかけひきがあって完全に素顔とも言えないきがしてしまう。

昨日読んだ村上春樹の「トニー滝谷」は、服を何枚も何枚も買い込んで、見事に洋服を着こなす女性を愛する男の話だったけど、
何枚も何枚も着こなして、身にまとっていくその生き方は、
すごくすがすがしくて、華やかな描かれ方をしていた印象だった。
人は着飾って化粧をして、かっこつけようとするけれど、
かっこつけたことそのものが人の「人格」や「そのひと」を表していることも有るのではないかと思うときが結構あったりする。

娼婦という職業は、自分本来の生き方と、自分への偽りの狭間でぐるぐるぐるぐるしながらやっとできるものなのかもしれないって思う。(※娼婦によってもちがうだろうけども)
完全に「どちらかである」といいきれることよりも、それは複雑で人間味があることのように感じる。


■映画を見て思い出した作品
「ちぐはぐな身体ーファッションって何」鷲田清一
「ラスト、コーション」
「ヨコハマメリー」
「トニー滝谷」村上春樹
「女と男のいる舗道」ゴダール
とかとか・・・
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■そのた

映画館では私ともう一人の女性客しかいなくて、
すきまくっている感じもすごくよかった。
結構贅沢な感じ。
彼女の存在は微少だけど私の映画の見方に影響を与えていて、ちょっとした緊張感があった。
というのも面白い体験だった。

2010年9月27日月曜日

私らしく感動















(8月に神島で)


最近感動していないって気がついた。
前はもう少し「感動した」ってことが多かったと思う。
空を見たら「今日は高いかも」とか「飛行機雲だ」とか何か感想があった。
何かいやなことを言われたら「なんでそういうことを言う状況にいるんだろう」とか、相手へのいらない心配までしていた。
じっくりとものを見たり、考えたりしなくなった。
掘り下げて深く考えるってことが前よりもできなくなった。

昨日大学時代の友人から電話があり、「手紙に切れがなくなった」と指摘されて確信。
別の友人は「毎日がルーティン化してるってことかもね」って。
そうかもしれない。
毎日たんたんと過ごしてる。
小さな失敗に小さなショックを覚えて、小さな成功にちょっとだけほっとする。
その繰り返し。
あんまり大きくはみ出さない。
気持ち的にも。
会社で働くとはそういうことなんだろうか。

家で「千と千尋の神隠し」を流していると、
千尋が自分の名前を忘れかけた。
ハクがこんなことを言った。
「湯ばーばは名前を奪って支配しちゃうんだ」
千尋は自分の名前を忘れないで仕事しようとする。

私は自分の名前でちゃんと仕事できているんだろうか。
署名記事は載るけれども、それってほんとうに私なんだろうか。

働きながらでも、千尋みたいに名前を忘れないでいることは可能なはず。
もっと私らしく感動したい。

2010年9月25日土曜日

こきりこ祭り



(おねーさんのあたまが・・・)


越中五箇山のこきりこ祭りへ行ってきた。
(しごとで)
踊り手の男性は、ささらという楽器をならして、綾い笠っていうのをかぶって
上梨の白山宮でゆったりとした舞を踊った。

しゃっ

しゃっ、しゃっ


富山市八尾のおわらでもかぶっていたこの半円形の笠。
体から頭が遊離してるみたいに見える。
富山の祭りででてくる舞の魅力は、この笠に有るんじゃないかと思う。

顔が見えそうで・・・・・見えない。
あ、見える・・・・?見えない。
ちょっと見えた・・・・?かな?
みたいな。
それがすごくセクシーなんじゃないかな。

しゃっ

しゃっしゃっ



2010年9月23日木曜日

孤独

(別にこの写真が孤独を表してるわけじゃないとおもうんだけどねー)


アラーキー「人がたくさんいるところにいると孤独を感じるじゃない。だからいくんだよ」



大学生のとき、新宿駅ですれ違う何百人もの恋人や家族を想像していた。
ものすごい数になるんだろうってことにいつも圧倒されてた。
今こうしてすれ違ってるけど、
今後の人生で、彼らと知り合いになる可能性はほぼゼロに等しいのだろうということもよく考えた。
一瞬肩がふれるだけの関係。
別にそれがいやだとかさみしいとかいいたいんじゃない。
どちらかというと、それってわたしにとって「不思議なこと」に部類する。
ぼんやり考えちゃう部類とも、いう?
そのとき感じていた不思議さは、
アラーキーの↑の言葉の延長にあるようにも思う。


2010年9月22日水曜日

したい

                        (かみしま)
きのう、
千里浜のドライブウェーにいって、
カラスが動物の死体をつついている光景を発見した。
波打ち際に転がる死体。
ねこかいたちか、もうわからない。
顔面は骨が浮き出ていて、
かろうじて体とくっついている皮は、すごくきれいにはがれている。
ソーセージをつつんでるビニルをはがすみたい。
カラスは2匹が3匹になって最後に四匹になった。
四匹は死体の肉をついばんだ。


死体。
死体は暴力的。
動物の死体を観ているだけなのに、ちょっとした罪悪感。
死体はそれだけでどこか人を傷つける力をもつのかも。
友達がぱしゃぱしゃと死体の写真を撮っていて、私はその光景をみながらハーゲンダッツを食べていた。
ハーゲンダッツはおいしかったけど、変な味がした。


そういえば3年くらい前に中国の現代美術展にいったことがある。
死体派っていうのがあった。
みているのが苦しかった。
「私は死にます」ってみんなで言い続けるのとか、
老人ホームにいるような各国のおじいちゃん人形がぐるぐるフロアをまわっているのとか・・・

「やりすぎ」と正直思った。
きもちわるい。
ただ、二度といきたくないとかそういうんじゃなくて、心地いい不快感を感じた、という感じ。
悪くないっていうのが、見終わったときの感想だった。

死体が持っている非日常性は人の心を傷つけるかもしれないけれど、
それぐらいの覚悟を持って立ち向かうことでやっと作品との、何かとのコミュニケーションになる。
なにも心に響かないことより、なにかしら傷つけられる方が私は好きなんだと思う。

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そのほか
↑より
*「死体が自分を写す鏡だっていうのは、それが明日の我が身だからなんだよ。まあ手触りを感じないままに変に情報過多になっちゃってると、そういう当たり前のことを忘れちゃって自分の暗い面ばかりが肥大化しちゃうんだろうね」

*「いや、死体はそれ以上でもなければ、それ以下でもない、っていう言い方をするけど、それは決してドライな言い方をしてるわけじゃなくて、逆に特殊な存在だっていうようにもいえるわけでね。過大に評価するのも失礼というか、過剰に怖れる必要もないだろうと思うし、かといってモノ扱いするのもおかしいだろうと思うし。そういう意味でいってるんだけどね。だからほんとに、俺はファインダーを通して関わるのが基本だからさ、そういう目で見ると、死体ってやっぱりいろんなことを語ってるわけだよ。だからかわいそう、とかっていう一般的な感情移入は、ほんとうに死体が表現してくることのほんの一部分で、むしろマイナーかもしれないと思う。というか、これは受け取る側の問題でもあるか。

2010年9月5日日曜日

神島のはなし5

(2010年8月観的哨)

観的ってこんなところ。



2010年9月3日金曜日

神島のはなし4


(2010/08 )


神島のはなし、神島のはなし。。。

2010年8月31日火曜日

神島のはなし3

  まど の  まど


                          まどからみえる


                                             みえるかな・・・。

2010年8月30日月曜日

神島のはなし2

(2010年8月24日)

                       神島の話。

その2

いりぐち。

2010年8月28日土曜日

神島

2010/08/23~24で神島へいった。
電柱。

2010年7月15日木曜日

入り江


(2010/05/海王丸パーク)
「ザ・コーヴ」いついて

おもったこと。

●作品のつくりについて、ざっくり
ストーリー性もあるし、監督のいいたいことが伝わってくる、という気がします。
登場人物にも感情移入できて、編集も手が込んでいると思う。
なかなつくりはプロ級
。お金かかっていそうかな。
感情的なシーンが多いようで、
だから一人称の小説を読んでいるような気分だった。
しらけて見ちゃった場合は面白いと思えないんだろうけど、でもうまく感情移入できれば面白いと感じると思う。

●取材について
・いろんな人に話を聞いているように感じた。
ただ、太地町に住む人や漁師さんへの取材はなかったように思う。
もし拒否されて取材できないにしても、その理由があればよりよかったと、自分は思うと思う。取材しようとしているシーンがひとつあるだけで違うかもしれない。
・個別になるけど、いるかの肉が鯨の肉として全国で売られているっていう話についてはなんのことかわからなかった。
どれくらい売れてるとか、うっている数とか量とかそういうのはちゃんと説明してほしいかも、と思った。
・もう一つ、あそこまでモザイクだらけなのは私は好きではない。
隠し撮りだからなんだろうけれど、うーん、
あきらかに隠し撮りでもないもの[ほんとうはかくしどりなのかな・・・[カメラに向かって話していたけど]もモザイクなのは何でなんだろう。
なにか意図があるのかな。
みえちゃうとよくないことがあるんだろうと思っていろいろ考えては見たんだけど。
モザイクをかけることで個人を匿名化して「日本人」として一般化したいんだろうか、とか
もうただつけることになれちゃったからだろうか、とか。
ワイドしょー・・・??モザイクかけることで悪者感は増幅する気がする。
・水銀の数値については、私は間違っているのかあっているのか、一人の力で判断できないから、一視聴者としてはなにも言えない。
全くないことをひねりだして作っているのだとしたらおかしいと思うけど、そこはちゃんと確かめないと。確かめてない私には何も言えない。

●いるかの肉を食べてはいけないことについて
いるかを殺してはいけない理由には頭の良さがあげられていたように思う。
頭の良さと自己認識能力だったか。
うーん、日本に25年いきた私には全然共感できないなぁ。
きっと日本人も「「●●人」にはみんな自己認識能力があるし賢いほ乳類なんだ。だから殺してはいけない」、とかっていわれたら「そうだ」となるんだろうし、そこにあきらかな根拠なんて示されていないんだから同じと言えば同じかもしれない。
ずっとずっとこの作品を見ながら考えていたのは新潮社の「考える人」の今月号の村上春樹ロングインタビュー。

村上「善とか悪とかいうのは絶対的な観念ではなくて、あくまで相対的な観念であって場合によってはがらりと入れ替わることもある。だから、何が善で何があくかということは、今われわれに何かを『強制している』もの、それが善的なものか悪的なものかを、個々の人間が個々の場面で見定めていかざるをえない。それは作業としてすごく孤独できついことですよね・・・。システムはそれがどのようなシステムであれ、個々の人間が個々に決断をくだすことを、ほとんどの場合認めないということです・・・。(クローズドサーキット=閉ざされたシステムでは)人は方向感覚を奪われ、強制する力が善であるか悪であるかということすら判断できない状況においこまれます」

何が善で何が悪なのか、というのはおおかたの場合、私が今生きているシステムの中でおのずと決められているのかもしれない。
「私」がシステムなしには語れないとしたなら、もしもシステムの一つでしかなかったなら、
私なんていないことになってしまうけど。
まぁ、それは置いておいて、「私」なりの答えを見つけたいと思ったら、やっぱりどちらかを拒否するのではなく、どちらをも聞いてみる姿勢が必要なんだろうと、思う。
春樹はふたつの「クローズドサーキット」=「閉ざされたシステム」であっても、お互いに移動することができる、声を聞くことができるっていう希望や望みみたいなものをやっぱり1Q84でも、海辺のカフカでも世界の終わりでも・・・いっているように私は思うんだけれど、私も春樹のいっているであろうことを信じたい。
そしたら、そしたらこのいるか漁に対する回答は私のなかで生まれてくる。
私の意見をだれかに伝えたいと思えば、それを映画を作った彼らのように伝えないといけないと思うし、同時に私とは違う意見の相手の声を聞く姿勢をもつべきだとも思う。


●ドキュメンタリーについて
「ドキュメンタリーは真実を写す、なんていうのはぜったいない」というようなことを
大学1年の時に森達也さんがいっていたのをきいて、マスメディアへの道にすすみたいと思ったんじゃないかな、と今思う。

ドキュメンタリーは嘘をつく。
どんなドキュメンタリー作品にも監督の意志やメッセージがきっとある。
事実を曲げることはねつ造だろうから、それは絶対にいけないけれど、
演出であれば、いまのところそれは許されている。のを、毎日テレビやマスコミの報道を見て気がつかされる。
ただ、メディアや報じることのできる人間は、報じる場所をもっているわけで、それは人を簡単に傷つける武器にもなるということをちゃんと感じていないといけないともおもう。
公正な取材は無理だと思う。でも公正な取材を目指さないといけないんだろうな。
自分が絶対に公平で公正な取材をすることがきないという認識からそれははじまると思う。

2010年6月9日水曜日

2010年5月30日日曜日

2010年5月27日木曜日

2010年5月25日火曜日

くろっしんぐてん

(2010/05/23 森美術館)

誰の作品かわからなくなってしまった。
すみません。

2010年5月24日月曜日

キッドアイラックカフェのホールにて

(2010/05 高岡市)

「画に問いかけないことには画は答えてくれない」
「どうしてこんな色を使ったんだろう、この線はどんな気持ちで書いたんだろう。
画に質問しないことには答えてはもらえない」
「美術館では画の前をただ通り過ぎるのではなく、
画家の気持ちを問いかけてみる」
窪島誠一郎さん

2010年5月20日木曜日

違う画

(2010/04/01 新湊)

「違う画を見ているだけだよ」と、学生時代に友人から言われたことを
1Q84 BOOK3を読んで思い出した。

2010年5月13日木曜日

写真5月13日

(2010年4月1日 新湊)

うーみーはーひろいーーーー

いいたいことなんてなーーーーいーーーーーー

2010年5月12日水曜日

2010年5月11日火曜日

このまえの記事について

(2010/05/09 高岡市城光寺 木のでこぼこの部分)

このまえ「こんな記事が書きたい」とおもったHIV感染者の看護師が退職させられた記事について
「退職は当たり前ではないか」の言葉をきいて、
たしかにそうかもしれない、ともおもった。
患者にしてみれば、
自分の体にふれる看護師がHIVに感染していることで不安を感じるのは当然かもしれない。

でも、HIVについて少しでもかかわった、というか考えたことがあると思う私としては、
その考えにすこし踏みとどまってしまう。

性感染症に感染する方がみだらだ、悪い

という意見に対しては、やっぱりものすごく納得いかない。
HIVはだれにでも感染しうると今も思うし、
予防についての啓発が足りないとも思う。
そんな社会において、
簡単に「悪い」といってのけるのには納得いかない。

ただ、記事に対しては慎重になるべきだったのかもしれない、とも思う。
今度WADSのみんなにきいてみよう・・・

2010年5月6日木曜日

いちごあめ

(2010/04 氷見どんどんまつり)

いちごあめ
ってナマエノカンジがかわいらしい。
って、いま打ってみて思った。

平かなってじっとみると
なんて不思議なかたちをしているんだろう、とよく思う。

2010年5月5日水曜日

こいのぼり

(2010/05/05 ひるがの高原)


こいのぼりを最初に考えた人は
すごい気がする

こいを空に泳がそうと思うなんて。

独創的

なきがする。

2010年5月3日月曜日

「韓流映画が大好きなおじいちゃんでした」


新聞のお悔やみ欄の確認で遺族にきく一言。
亡くなった人が生前どんなひとだったのか、何が好きだったのか、性格は?趣味は?
びっくりするくらい悩んでしまう人もいれば、
家族と相談する人もいれば、
一瞬で答えてしまう人もいれば、
コメント無しで終わる人もいれば、
「そう聞かれると思って考えていたんです」と打ち明けてくれる人もいた。

「植物が好きでね、山へ行って、そうだな、花とか観察とかがすきだったなぁ・・・(くどくど続く)」(まとめるのが難しいなぁと頭が痛い)
「韓国映画が大好きでよく見ていたっちゃ。歌も歌っていたなぁ」(申し訳ないけど80代おじいちゃんのため笑いをこらえてしまう)
「頑固じじいだった!」(それは新聞では書けない気がするとか悩む)
と その答えも千差万別。

電話口で聞いている私はというと、
家族が遺族の一生を思い「・・・」と悩んでいる一瞬が結構好きだったりする。

(2010/04/ 射水市高光山寺・・・千大仏の寺で)

2010年5月2日日曜日

写真5月2日

(2009年秋 高岡市)


久しぶりに  頭に来た。
ごんごんごんごん・・・

ちょっとなきそう。
くやしい。

2010年5月1日土曜日

エイズ記事

(2010/01 射水市)


HIV理由に退職勧奨 愛知の病院側は否定

2010年4月30日 09時05分

 愛知県内の大手病院で昨秋、エイズウイルス(HIV)感染が判明した30代の看護師が退職に追い込まれていたことが分かった。看護師は「病院幹部から看護師としては働けないと言われ、退職強要と受け止めた」と話している。病院側は「退職を求める意図はなかった」と、退職勧奨を否定している。

 国の「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」では、HIV感染者を差別しないよう求めているが、医療現場は対象外とされている。医療現場向けのガイドラインは策定の必要性が指摘されてから15年以上たっても整備されておらず、国の不作為が今回のような問題を引き起こす一因となっている。

 看護師と病院側によると、看護師は昨年9月、勤務中に過労で倒れ、院内で治療を受けた。その際、病院側は本人に断らずに採血検査をし、HIV感染の疑いが判明。翌日、看護師は別の医療機関で詳細な検査を受け、感染が確定した。エイズは発症していない。

 看護師は、別の病気を理由に休暇を取った後、同10月中旬に感染確定の診断書を持参。最初は主に副院長と、2回目からは当時の職場だった施設の副施設長と数回、就労について話し合った。

 その際、看護師は治療後の職場復帰に支障がないことを明記した診断書を示したが、副施設長は「うちでは看護職は続けられない。運転や配膳(はいぜん)の仕事はあるが、差し迫って人が必要なわけではない。他の理解ある病院に面倒を見てもらっては」と発言。看護師は同11月末、副施設長に「退職を強要されたと受け止めている」と伝え、辞表を提出した。

 HIVは輸血や性行為を介し感染するが、日常生活では感染しない。適切な治療を受ければウイルスが激減して発症を抑えられ、米国などでは感染後も勤務を続ける医療関係者は珍しくない。

 <エイズ(後天性免疫不全症候群)> HIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染して起きる病気。潜伏期間を過ぎて発症すると、体の免疫力が低下し、感染症などにかかりやすくなる。ウイルスの増殖を抑える抗HIV薬が開発され、先進国では「死に至る病」ではなくなりつつある。厚生労働省によると、国内のエイズによる死者は2001年に36人を数えたが、09年は2人にとどまった。世界全体では、発展途上国を中心に年間200万人(08年)の死者が報告されている。

(中日新聞)


エイズウイルスHIV)に感染した愛知県の看護師が病院退職に追い込まれた背景にあるのは、HIV感染した医療関係者の就労についての基準がないことだ。

 旧労働省(現厚生労働省)の「職場におけるエイズ問題に関するガイドライン」(一九九五年)は、感染を理由にした解雇や就業禁止をしないよう求めているが、医療現場はガイドラインの対象外とした。

 旧労働省の検討委員会が九四年にまとめた報告書では、医療現場を「HIVに感染する危険を有する職場」と位置づけ、別にガイドラインを設けるよう問題提起した。委員は経営者や労働団体の代表、弁護士ら。医師は二人だけで、うち一人は産業医だった。

 結局、医療現場向けのガイドラインは作られなかった。厚労省労働衛生課の担当者は「報告書に基づき、一般の職場と違って感染する可能性が高いと判断した」と話す。

 一方、同様に血液を介し感染するB・C型肝炎について、厚労省の「Q&A」は、医療従事者が感染しても患者に感染する危険はほとんどないと説明。仕事の制限はないと明記する。HIVは感染力が弱く、針刺し事故による患者から医療従事者への感染率は、B・C型肝炎の十分の一以下。医療従事者から患者への針刺し事故はまず考えられない。

 HIVの治療に詳しい愛知県赤十字血液センターの浜口元洋副所長は「看護業務で感染する危険はなく、HIVも肝炎と同様に扱われるべきだ。ガイドラインが医療現場を対象外とするのは間違っている」と指摘する。

2010年4月29日木曜日

写真4月29日

(2010/04/29 戸出)

なのはな

うしろにぴんと

2010年4月26日月曜日

花咲じいさん

(2010/04月 高岡市)

水上さんのすてきな作品~

はなさかじいさんはいおくれ

2010年4月25日日曜日

悔しいことは悪いことじゃないちゃよ

(2010年4月まんなか 新宿~りゅうじさんが撮ってくれた~ぼけぼけ~)

いらいらいらいらいらいらいらいら

くやしいくやしいくやしいくやしい

ってなっていつもの喫茶店へ行ったら
「悔しいことに気づけたのはわるいことじゃないわよ」
と言われた。

ふむ。

2010年4月20日火曜日

なやましいいいいいいい

(2010年4月18日 伏木)

がお~~!!

悩ましい〉〈


2010年4月13日火曜日

写真4月12日

  ひわたりしんじ~~~~~~~~~~(2009年9月射水市)
横の手がいい感じ??

2010年4月9日金曜日

ねじはな

(2009年9月 発電所美術館)

木の葉っぱもくもくーー


きっとだれかが ねじっていったのよ
あまりにかわいい花だから・・・            ねじばな
(金子みすずさん??  水上さんのポストカードより)

2010年4月7日水曜日

バースデーガール

(2010年1月 ホーチミン)
ウェイトレスとして働いているバイト先の夢庵仙川店にきたおじいさんが
大根ぱりぱりサラダとドリンクバーと明太子チーズオムレツをオーダーしました。

かれは、ファミリーレストランの個室ともいえないような仕切りしかない4人席に座っていました。
白いひげを鼻の下に薄く蓄えて、ベージュの綿パンに緑のセーター姿。
黒くて重そうなレザーのコートを彼が座っているいすの背もたれにかけていました。
4人席だからもっと空間をりようして、コートも隣の席くらいにおいてしまえばいいのに、
と思いました。
外見は「紳士的」ということばがぴったりなほど落ち着いた様子で、
右手を左手にのせ、組むしぐさも、わざとらしくはないように思えました。

そう思った、そのとき、でした。
「20歳の誕生日に一つだけ君の願いをかなえてあげよう」
と彼は低い声で、でも、はっきり明朗とした口調で言ってきました。

(2010/04/07  本多勝一の作文技術の本と村上春樹のバースデーガールをいっぺんによんで)


2010年4月6日火曜日

写真4月6日

(2010年1月まんなか)
あさ、新聞を開くおじさん

2010年4月5日月曜日

写真4月5日

(2010年1月まんなか ホーチミン)

機械がいっぱいなのが
なんか
いいとか、おもってみたり。

2010年4月4日日曜日

写真4月4日

(2010/04/04 高岡市小矢部川沿い)

はるのおとずれ

しんぶんには使えないけど、後ろの工場群が
いい、とおもう