2008年6月28日土曜日

異空間


(2008年6月24日美術館内)      








        

24日、青森では記録的な大雨の中、十和田市現代美術館を訪れました。


http://www.artstowada.com/
美術館 

最近開館してからビジターがとても多い、
という新聞記事を読んでから、気になっていた美術館でした。


なんといっても、常設展示が素晴らしい!
一番のお気に入りは、栗林 隆さんの作品(写真)。

「アザラシが覗き見る天井裏には、この美術館でしか体験することのできない、驚きに満ちた世界が広がっています。ひとつの展示室に異なるふたつの世界をつく り出しました。ドイツ語で湿地帯を意味する「ザンプランド」と名付けられたこの作品で、作家が提示しているのはふたつの世界にある「境界面」です。」(美術館hp より)


椅子を使って、天井裏に続く穴をのぞくと、アザラシ君と目が合います。
アザラシ君の住む世界は日常とはかけ離れた世界。
どきどきしました。


多分、私のアタマも、一見すごそう!と思いきや(誇張してます笑)、
その日のおやつのことしか考えてなかったり、
アニメのパプリカになりたいな・・・ってことしか考えてなかったり。

アザラシとの出会いは異空間との出会いって言うよりは、
よく想像する「私」を視覚化させてもらっただけかもしれない気がして。
(この作品の場合は作者の想像に出会うわけだけれども)

想像って、あんまり誰にもいえない小さな秘密の部分から、
だから
どきどきしました!!


自然、とか二つの世界、とかっていう風に語ることもできるように思いますが、

私にとってはとても親しみやすい作品でした。


2008年6月27日金曜日

なんだかわからないけれど。


                          (2008年6月25日奥入瀬渓流)

2日ほど前、2泊3日で青森県へ行ってきました。
2日目は十和田湖から奥入瀬渓流を探検。

奥入瀬渓流。
十和田湖から焼山に至る約14kmの渓流美。

14キロ・・・はとても長いので、「阿修羅の流れ」から7キロ歩きました。


観光ショップにおいてある渓流地図を持ちながら歩きます。
「阿修羅の流れ」
「雲井の滝」
「銚子大滝」
「白銀の流れ」
などなど、
地図にはたくさんのすてきなスポットが書かれています。


とくに雲井の滝は本当に雲の中から水が溢れ出しているのでは、と思うほど、

たかくたかくたかい場所から勢いよく水が流れ出ています。

たちどまってため息を漏らしてしまうことが
何度も何度もありました。


私は何に圧倒されているのだろう。
なぜ、すごい、と思ってしまうのだろう。

なんだかわからないけれど、

圧倒されてるし、

すがすがしいと感じてる。

なんだかわからないけれど。



鳥が鳴き、
空気が澄み、
雨がぱらぱら降り、
土っぽいにおいがして、
水がごーごー流れ、
コケがしとしとしている。

木があまりにも自由で、
折れてたり、倒れてたり、違う気に巻きついていたり、下に向かって伸びてたり。
笑えます。ww


地図に載っている観光スポットだけではなく、
歩いていると、この空間に立っていることを忘れてしまうみたいに、
ぼんやりしてしまう。
私が空気になったみたい。


「これが雲井の滝かぁ」
と地図に載っているから発見するのではなく、
有名だから、ナが知れているから見るってことは結構どうでもよく、
この渓流の中にいるんだ、と感じることに、
どきどきします。




3時間。
とてもとても疲れたし、靴もジーンズも泥んこになりましたが、
とてもとても楽しいハイキングでした。

2008年6月23日月曜日

嘘をついてもばれるものです。

                                 (2007年2月直島)


リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです

(すぎやまとし 73年12月12日)






昨日の新聞文化面に載ってました。
CM ディレクターすぎやまとしさんのことば。


「嘘をついてもばれるものです。」

できることなら、正直にいきたい。
でも、それも難しい。

2008年6月22日日曜日

オハイエ

(2007年金沢21世紀美術館)
ときどき、いや、いつもかもしれない。
私は結構、人との間に壁を作ってしまいます。
コミュニケーションをとろうとしても、
なかなか自分を表現できなくて、
ぎこちなくその関係を終わらせてしまいます。
壁って言うのはステイタスとか、性別とか、学年とか、初対面であるとか、
いろんな種類があるでしょうけれど、
でも、多かれ少なかれ、壁の存在が私を辛くさせます。
だから、こうやってブログをつづるのも、
コミュニケーションをとりたいがための
一種の自己表現なんだろうと、
認識しています。




今日、映画「オハイエ とっておきの映画祭」を見てきました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/ohaie.htm
仙台市では、障害のある人とない人一緒に音楽を通して楽しもう!
という
バリアフリーな「とっておきの音楽祭」が毎年開かれているそうです。
(とっておきの音楽祭
HPhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/)
その特徴は、なんといっても街の人みんなで運営するところにあります。
400人あまりのスタッフはみんなボランティア。
ステージは物理的なバリアのないストリート。
買い物してる人、散歩してる人、ピクニックしてる人、
オーディエンスもいつの間にか音楽祭に巻き込まれてしまうのです。


脳性マヒのluluという男の子が途中出てきます。
彼はこの音楽祭に第1回目の8年前から参加しているそうです。
映像の中でジャンプまでしていたluluくんだけど、
監督が初めて彼に会ったとき、彼は話すことも、立つこともできなかったそうです。
でも、
「シンガーだからたって歌いたい。」
と、
歌を歌いながら、お客さんの反応を感じながら、今ではジャンプするまでになったluluクン。


映画の中で、
「うまい、ヘタは関係ないんだ。歌えることなんだ」
というナレーションがあります。
私はいつもうまくコミュニケーションをとろうと、誰かとの間に壁を立ててしまうけれど、
触れ合いたいんだ、 共有したいんだ、
どんなにへたであっても表現することが、
バリアをぶちこわしていることに、気がついていきます。

ボランティアスタッフが、
「だって楽しいから、毎年参加してるんです」
といっていました。
みんなバリアがないのが楽しいから、
街中が活気付いているんだと思います。

来年はこのお祭りのスタッフしたいと思います。

2008年6月21日土曜日

素朴なケーキ屋さん

                         (2007年6月25日長野県上田市)

「お正月の空は澄んでいて、僕はなんだか好きなんです。」
「東京のお正月は人がいないから、
車なんかも走らなくて、静かで、空気が澄んでいるんです。」

今年の1月3日。
私の住んでいる町の、
小さくて古くて素朴なケーキ屋さんのおじさんが言いました。

人がよさそうで、優しくて、ちょっと弱そうなそのおじさんは、
大きな黒縁めがねの中にある小さな目を細めて
お店の窓の外をぼんやり眺めながら、
ちょっとおセンチに言いました。




「素朴なケーキ屋さん、閉店したんだよ」

今日、美容院へ行くと、いつも担当してもらっている美容師さんに言われました。
私と美容師さんとの間で、このケーキ屋さんはよく話題にのぼっていました。
ケーキの味もおじさんもお店も素朴だから
「素朴なケーキ屋さん」と私たちは呼んでいました。


街角にある素朴なケーキ屋さんは、20年ほど前に開店したそうです。
当時、この町は静かで人も少なく、大きな大きな野原も近くにありました。
おじさんは、もっと都会の新宿よりに住んでいるけれど、
人がたくさんいるのが苦手で、
小さかったこの街にケーキ屋さんを開いたそうです。

私がお店に初めて入ったときに、おじさんに挨拶すると、
それはもううれしそうに、
そして素朴に、
いろいろなことを話してくれました。
おじさんはぼそぼそっとつぶやき、
私が笑うとうれしそうで、
私がうれしくなりました。




あのおじさんの素朴さが大好きだったから、
もうあえなくなるのは寂しいです。

おじさんみたいに人が多すぎるのが嫌だ、
と思うわけではないけれど、
ただただ街がにぎわっているだけで、

おじさんとのような、
素朴な関係がなくなってしまうのは、
寂しい。


おじさんの作った素朴なケーキがまた食べたい。

2008年6月20日金曜日

権威


最近、「es」という映画を見てから、「服従」に興味を持って、考えていました。
(esのHP http://www.gaga.ne.jp/es/)

この作品は1971年におこなわれたある実験を再現するような形で撮られた作品です。
実験って言うのは・・・・

1971年、スタンフォード大学心理学部で、ある実験が試みられた。被験者は新聞広告によって集められた24名。彼らは、無作為に「看守役」と「囚人役」 に分けられ、監視カメラ付きの模擬刑務所に収容された。二週間、いくつかのルールに従いながら自分の役を演じること、それが彼等に与えられた仕事だった。 しかしわずか7日目で、実験は中止。現在、この実験は禁止されている…。 (「es」のHPより)


「権威」について調べたアイヒマン実験の『服従の心理』を読んだだけなんだけれども、
なかなか興味深いのです。


例えば、いじめ。

中学生のとき、私が所属していた吹奏楽部内には伝統的な後輩いじめがありました。
先輩は力いっぱい後輩を従属させるというものです。
「私たちに尽くしなさいよ」
という先輩の言葉は未だに忘れられません。
部活を嫌だからって理由で休むとサボったと思われるから、(まぁ、そうなんだけど)風邪ってことにして学校まで休んじゃったって言うくらいに、苦痛でした。
いつもびくびくしていました。
でも、私は全く先輩が悪いなんて思わなかった。
むしろ、先輩に怒られる自分に「非」があると強く思い込んでいた。
また、先輩たちも、私のように過ごした後輩という時期があったからこそ、
(先輩が一番であるという認識を深めて言った時期)
私たち後輩を従属させた。

でも、これってすごくおかしいわけです。
本来ならば、楽器ができるから、よりうまくふけるからという理由で、先輩は敬われる存在であるはずなのに、単に学年が上だからというだけで、先輩が言うことなら何でもしなければなりませんでした。
校則を破ることであっても、法律を破ることであっても、友達をいじめるような行為であっても、
「先輩」という権威には逆らうことができない、という疑うことのできないと思い込みがありました。
また、少人数の問題ではなく、多くの生徒にとって自明のことでした。
当時の私に、
「私が罰せられる理由はどこにもないんだよ」
って教えてあげたとしても、きっと私は

「だって先輩が絶対なんだもん」
といったと思います。
このときの私には先輩に従うという責任しかありませんでした。


もう一つ、例えば
裁判。
さっき周防監督の「それでもボクはやってない」を見ました。
「日本」という国家権力に従順する裁判官(をこの作品は描いていたのだと私は思うんだけど)。
目に見えない「権威」には、たとえある事象が誤っていたとしても、従うことしかできない。
左遷されるかもしれないとか、不名誉であるとか、
「権威」という問題からは切れない要素もここにはあるわけですが、

でも、今までおおっぴらにこの不条理を嘆くことができなかった、
または嘆いたところで大きな声にはならなかったのは、
「権威」に立ち向かうことが、アブノーマルであると
人が考えるという要素もあるように感じます。



人は「権威」の元で、自分の「役割」を演じます。
それは単なる「役割」であって、本来的な私ではないと信じこみます。
そして自分のいかなる行為も正当化させます。



人ってこわい。
「自由意志を持ち、服従は絶対しない」と言うのではなく、
私って、そういう側面も持っているんだって言うことを覚えておくこと。
自分が何ものであるのかを知っておくこと。
それくらいにしか、私ができることはない気がしています。

(なんかレポートみたいになった・・・)

するべきであること


mixiの秋葉原通り魔殺人事件コミュニティを読んでいたら、 興味深くて結構時間がたっていました。
事件からもう2週間というのに、たくさんのコメントが並び続けています。
それくらい多くの人にとって、
大きなインパクトのある事件だったんだなって再確認。

トピックの種類も
・加藤容疑者について
・マスコミの報道について
・健全さということについて
・秋葉原という場所について
・遺族のことについて      
・野次馬について
などなど様々。

平野啓一郎さんの『決壊』が
どうやらこの事件とだいぶかぶった内容のようで、
NEWS23で紹介されていました。
(読んでみたい、けどまだ発売でないらしい)
(つまり、ある程度、この事件について予測できたことがたくさんあった ということだと思う)

「あるところまで耐えることができても、モノが壊れてしまうように、 人間だって我慢しきれない一線を越えたら壊れる存在なんだ」
「人の限界を思う優しさがあってほしい」

というようなコメント。

おととい、ある人に、

「事件が社会のせいだ、なんていいたくない。個人の問題であるべきだ」
と言われたけれど、
私は同意しきれなかった。

被害者でも加害者でもない第三者の立場の私は、 この事件がおこるコミュニティ(世界、日本、東京などいろいろ区分できるだろうけど) に生きていると認識しているのなら、
「私がするべきであること」を考えてみる必要があるきがしてる。

かいてみて、今日は かなり当たり障りのない内容でしかないことに、 ちょっと不満足なブログになってしまいました。