2008年6月28日土曜日

異空間


(2008年6月24日美術館内)      








        

24日、青森では記録的な大雨の中、十和田市現代美術館を訪れました。


http://www.artstowada.com/
美術館 

最近開館してからビジターがとても多い、
という新聞記事を読んでから、気になっていた美術館でした。


なんといっても、常設展示が素晴らしい!
一番のお気に入りは、栗林 隆さんの作品(写真)。

「アザラシが覗き見る天井裏には、この美術館でしか体験することのできない、驚きに満ちた世界が広がっています。ひとつの展示室に異なるふたつの世界をつく り出しました。ドイツ語で湿地帯を意味する「ザンプランド」と名付けられたこの作品で、作家が提示しているのはふたつの世界にある「境界面」です。」(美術館hp より)


椅子を使って、天井裏に続く穴をのぞくと、アザラシ君と目が合います。
アザラシ君の住む世界は日常とはかけ離れた世界。
どきどきしました。


多分、私のアタマも、一見すごそう!と思いきや(誇張してます笑)、
その日のおやつのことしか考えてなかったり、
アニメのパプリカになりたいな・・・ってことしか考えてなかったり。

アザラシとの出会いは異空間との出会いって言うよりは、
よく想像する「私」を視覚化させてもらっただけかもしれない気がして。
(この作品の場合は作者の想像に出会うわけだけれども)

想像って、あんまり誰にもいえない小さな秘密の部分から、
だから
どきどきしました!!


自然、とか二つの世界、とかっていう風に語ることもできるように思いますが、

私にとってはとても親しみやすい作品でした。


2008年6月27日金曜日

なんだかわからないけれど。


                          (2008年6月25日奥入瀬渓流)

2日ほど前、2泊3日で青森県へ行ってきました。
2日目は十和田湖から奥入瀬渓流を探検。

奥入瀬渓流。
十和田湖から焼山に至る約14kmの渓流美。

14キロ・・・はとても長いので、「阿修羅の流れ」から7キロ歩きました。


観光ショップにおいてある渓流地図を持ちながら歩きます。
「阿修羅の流れ」
「雲井の滝」
「銚子大滝」
「白銀の流れ」
などなど、
地図にはたくさんのすてきなスポットが書かれています。


とくに雲井の滝は本当に雲の中から水が溢れ出しているのでは、と思うほど、

たかくたかくたかい場所から勢いよく水が流れ出ています。

たちどまってため息を漏らしてしまうことが
何度も何度もありました。


私は何に圧倒されているのだろう。
なぜ、すごい、と思ってしまうのだろう。

なんだかわからないけれど、

圧倒されてるし、

すがすがしいと感じてる。

なんだかわからないけれど。



鳥が鳴き、
空気が澄み、
雨がぱらぱら降り、
土っぽいにおいがして、
水がごーごー流れ、
コケがしとしとしている。

木があまりにも自由で、
折れてたり、倒れてたり、違う気に巻きついていたり、下に向かって伸びてたり。
笑えます。ww


地図に載っている観光スポットだけではなく、
歩いていると、この空間に立っていることを忘れてしまうみたいに、
ぼんやりしてしまう。
私が空気になったみたい。


「これが雲井の滝かぁ」
と地図に載っているから発見するのではなく、
有名だから、ナが知れているから見るってことは結構どうでもよく、
この渓流の中にいるんだ、と感じることに、
どきどきします。




3時間。
とてもとても疲れたし、靴もジーンズも泥んこになりましたが、
とてもとても楽しいハイキングでした。

2008年6月23日月曜日

嘘をついてもばれるものです。

                                 (2007年2月直島)


リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです

(すぎやまとし 73年12月12日)






昨日の新聞文化面に載ってました。
CM ディレクターすぎやまとしさんのことば。


「嘘をついてもばれるものです。」

できることなら、正直にいきたい。
でも、それも難しい。

2008年6月22日日曜日

オハイエ

(2007年金沢21世紀美術館)
ときどき、いや、いつもかもしれない。
私は結構、人との間に壁を作ってしまいます。
コミュニケーションをとろうとしても、
なかなか自分を表現できなくて、
ぎこちなくその関係を終わらせてしまいます。
壁って言うのはステイタスとか、性別とか、学年とか、初対面であるとか、
いろんな種類があるでしょうけれど、
でも、多かれ少なかれ、壁の存在が私を辛くさせます。
だから、こうやってブログをつづるのも、
コミュニケーションをとりたいがための
一種の自己表現なんだろうと、
認識しています。




今日、映画「オハイエ とっておきの映画祭」を見てきました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/ohaie.htm
仙台市では、障害のある人とない人一緒に音楽を通して楽しもう!
という
バリアフリーな「とっておきの音楽祭」が毎年開かれているそうです。
(とっておきの音楽祭
HPhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/)
その特徴は、なんといっても街の人みんなで運営するところにあります。
400人あまりのスタッフはみんなボランティア。
ステージは物理的なバリアのないストリート。
買い物してる人、散歩してる人、ピクニックしてる人、
オーディエンスもいつの間にか音楽祭に巻き込まれてしまうのです。


脳性マヒのluluという男の子が途中出てきます。
彼はこの音楽祭に第1回目の8年前から参加しているそうです。
映像の中でジャンプまでしていたluluくんだけど、
監督が初めて彼に会ったとき、彼は話すことも、立つこともできなかったそうです。
でも、
「シンガーだからたって歌いたい。」
と、
歌を歌いながら、お客さんの反応を感じながら、今ではジャンプするまでになったluluクン。


映画の中で、
「うまい、ヘタは関係ないんだ。歌えることなんだ」
というナレーションがあります。
私はいつもうまくコミュニケーションをとろうと、誰かとの間に壁を立ててしまうけれど、
触れ合いたいんだ、 共有したいんだ、
どんなにへたであっても表現することが、
バリアをぶちこわしていることに、気がついていきます。

ボランティアスタッフが、
「だって楽しいから、毎年参加してるんです」
といっていました。
みんなバリアがないのが楽しいから、
街中が活気付いているんだと思います。

来年はこのお祭りのスタッフしたいと思います。

2008年6月21日土曜日

素朴なケーキ屋さん

                         (2007年6月25日長野県上田市)

「お正月の空は澄んでいて、僕はなんだか好きなんです。」
「東京のお正月は人がいないから、
車なんかも走らなくて、静かで、空気が澄んでいるんです。」

今年の1月3日。
私の住んでいる町の、
小さくて古くて素朴なケーキ屋さんのおじさんが言いました。

人がよさそうで、優しくて、ちょっと弱そうなそのおじさんは、
大きな黒縁めがねの中にある小さな目を細めて
お店の窓の外をぼんやり眺めながら、
ちょっとおセンチに言いました。




「素朴なケーキ屋さん、閉店したんだよ」

今日、美容院へ行くと、いつも担当してもらっている美容師さんに言われました。
私と美容師さんとの間で、このケーキ屋さんはよく話題にのぼっていました。
ケーキの味もおじさんもお店も素朴だから
「素朴なケーキ屋さん」と私たちは呼んでいました。


街角にある素朴なケーキ屋さんは、20年ほど前に開店したそうです。
当時、この町は静かで人も少なく、大きな大きな野原も近くにありました。
おじさんは、もっと都会の新宿よりに住んでいるけれど、
人がたくさんいるのが苦手で、
小さかったこの街にケーキ屋さんを開いたそうです。

私がお店に初めて入ったときに、おじさんに挨拶すると、
それはもううれしそうに、
そして素朴に、
いろいろなことを話してくれました。
おじさんはぼそぼそっとつぶやき、
私が笑うとうれしそうで、
私がうれしくなりました。




あのおじさんの素朴さが大好きだったから、
もうあえなくなるのは寂しいです。

おじさんみたいに人が多すぎるのが嫌だ、
と思うわけではないけれど、
ただただ街がにぎわっているだけで、

おじさんとのような、
素朴な関係がなくなってしまうのは、
寂しい。


おじさんの作った素朴なケーキがまた食べたい。

2008年6月20日金曜日

権威


最近、「es」という映画を見てから、「服従」に興味を持って、考えていました。
(esのHP http://www.gaga.ne.jp/es/)

この作品は1971年におこなわれたある実験を再現するような形で撮られた作品です。
実験って言うのは・・・・

1971年、スタンフォード大学心理学部で、ある実験が試みられた。被験者は新聞広告によって集められた24名。彼らは、無作為に「看守役」と「囚人役」 に分けられ、監視カメラ付きの模擬刑務所に収容された。二週間、いくつかのルールに従いながら自分の役を演じること、それが彼等に与えられた仕事だった。 しかしわずか7日目で、実験は中止。現在、この実験は禁止されている…。 (「es」のHPより)


「権威」について調べたアイヒマン実験の『服従の心理』を読んだだけなんだけれども、
なかなか興味深いのです。


例えば、いじめ。

中学生のとき、私が所属していた吹奏楽部内には伝統的な後輩いじめがありました。
先輩は力いっぱい後輩を従属させるというものです。
「私たちに尽くしなさいよ」
という先輩の言葉は未だに忘れられません。
部活を嫌だからって理由で休むとサボったと思われるから、(まぁ、そうなんだけど)風邪ってことにして学校まで休んじゃったって言うくらいに、苦痛でした。
いつもびくびくしていました。
でも、私は全く先輩が悪いなんて思わなかった。
むしろ、先輩に怒られる自分に「非」があると強く思い込んでいた。
また、先輩たちも、私のように過ごした後輩という時期があったからこそ、
(先輩が一番であるという認識を深めて言った時期)
私たち後輩を従属させた。

でも、これってすごくおかしいわけです。
本来ならば、楽器ができるから、よりうまくふけるからという理由で、先輩は敬われる存在であるはずなのに、単に学年が上だからというだけで、先輩が言うことなら何でもしなければなりませんでした。
校則を破ることであっても、法律を破ることであっても、友達をいじめるような行為であっても、
「先輩」という権威には逆らうことができない、という疑うことのできないと思い込みがありました。
また、少人数の問題ではなく、多くの生徒にとって自明のことでした。
当時の私に、
「私が罰せられる理由はどこにもないんだよ」
って教えてあげたとしても、きっと私は

「だって先輩が絶対なんだもん」
といったと思います。
このときの私には先輩に従うという責任しかありませんでした。


もう一つ、例えば
裁判。
さっき周防監督の「それでもボクはやってない」を見ました。
「日本」という国家権力に従順する裁判官(をこの作品は描いていたのだと私は思うんだけど)。
目に見えない「権威」には、たとえある事象が誤っていたとしても、従うことしかできない。
左遷されるかもしれないとか、不名誉であるとか、
「権威」という問題からは切れない要素もここにはあるわけですが、

でも、今までおおっぴらにこの不条理を嘆くことができなかった、
または嘆いたところで大きな声にはならなかったのは、
「権威」に立ち向かうことが、アブノーマルであると
人が考えるという要素もあるように感じます。



人は「権威」の元で、自分の「役割」を演じます。
それは単なる「役割」であって、本来的な私ではないと信じこみます。
そして自分のいかなる行為も正当化させます。



人ってこわい。
「自由意志を持ち、服従は絶対しない」と言うのではなく、
私って、そういう側面も持っているんだって言うことを覚えておくこと。
自分が何ものであるのかを知っておくこと。
それくらいにしか、私ができることはない気がしています。

(なんかレポートみたいになった・・・)

するべきであること


mixiの秋葉原通り魔殺人事件コミュニティを読んでいたら、 興味深くて結構時間がたっていました。
事件からもう2週間というのに、たくさんのコメントが並び続けています。
それくらい多くの人にとって、
大きなインパクトのある事件だったんだなって再確認。

トピックの種類も
・加藤容疑者について
・マスコミの報道について
・健全さということについて
・秋葉原という場所について
・遺族のことについて      
・野次馬について
などなど様々。

平野啓一郎さんの『決壊』が
どうやらこの事件とだいぶかぶった内容のようで、
NEWS23で紹介されていました。
(読んでみたい、けどまだ発売でないらしい)
(つまり、ある程度、この事件について予測できたことがたくさんあった ということだと思う)

「あるところまで耐えることができても、モノが壊れてしまうように、 人間だって我慢しきれない一線を越えたら壊れる存在なんだ」
「人の限界を思う優しさがあってほしい」

というようなコメント。

おととい、ある人に、

「事件が社会のせいだ、なんていいたくない。個人の問題であるべきだ」
と言われたけれど、
私は同意しきれなかった。

被害者でも加害者でもない第三者の立場の私は、 この事件がおこるコミュニティ(世界、日本、東京などいろいろ区分できるだろうけど) に生きていると認識しているのなら、
「私がするべきであること」を考えてみる必要があるきがしてる。

かいてみて、今日は かなり当たり障りのない内容でしかないことに、 ちょっと不満足なブログになってしまいました。

2008年6月15日日曜日


「まーきー!!」

就活がはじまるまで活動していたアデジャパの先輩からさっき突然電話が鳴りました。

私:「は、はい・・・」

最近何の活動もしてなかった私は、少し後ろめたい気持ちで電話を取りました。

「去年、ガールスカウトで話をした高校生が
 今日、ふぉーてぃーにきてくれたの!!!!」

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昨年、ガールスカウトで性教育講座をしたことがありました。
比較的、年の近い大学生が、
中高校生のガールスカウトに
エイズのこと、性のこと、そして自分の体を大切にしようっていうことを話してきました。

先輩は中学生に、私は高校生に、講義をしました。

今日、私が話した高校生の女の子たちが、
先輩がスタッフとして働いている池袋エイズ知ろう館(通称ふぉーてぃー)に
きてくれたというのです。
彼女たちはこれから自分たちも活動したいといっているということでした。


ぐわって胸の奥が熱くなっていく気がしました。
ちょっとだけ、目頭もきゅっと鳴りました。


ぶっちゃけ、私の講義は最低でした。
今まで講義をしたこともなく、
時間ぎりぎりまで先輩と打ち合わせをして、
顔も真っ赤になって、
早口になって、
時間もおして、
なにより女の子たちの反応があんまりよくない気がして。

「結局、何にも伝わってないじゃん」

帰り道、空にそう独り言を言いながら、私の力のなさを悔やみました。

そのこたちが、今日来てくれたのです。
少なくとも、あの講義の時間、私は何かを伝えることができたのです。

その思いとは私が意図したものでなかったかもしれません。
でも、なにかしら私が講義をする意味があったのです。

彼女たちがこれから、エイズについて考えたり、
友達に話をしたり、もしかしたら大学生になって活動をしたりって言うことがあるかもしれない。

すごく熱い感じがのどの奥でするのです。

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「本当にうれしくて伝えたいと思ったの」

先輩(?)に言われて、思わず微笑んでしまいました。

いや、本当に、実はまず最初にこの方に感謝を述べたいですよ。
なんで?って言われたらなんだかわからないけど、(汗)
う~ん・・・すごく彼女が伝える喜びを私に教えてくれたと思うからかな。

寒満月が割れるくらいに叫びたい

「僕たちは知らなかった。
知るべきことを知らなかったということを、まず考えたい。」


今日行ってきた「福岡事件」について考える
「叫びたし 寒満月の割れるほど」というシンポジウムで

森達也さんがこういいました。
「福岡事件」をシンポジウム会場にいる多くの人が知らなかったということ、
こんな重大事件を知らなかったということが、まず、問題なんだ、
と森さんは話しました。


  福岡事件とは1947年の第二次世界大戦直後に福岡で起きた殺人事件です。
  当時、容疑者としてつかまった二人は戦後初の死刑囚となりました。
  しかし、二人とも一貫して無実を主張。
  冤罪の可能性の高い事件で、
  シンポの話によるとかなり傲慢な裁判や取調べが行われていたようです。
  「叫びたし~」を獄中で書いた、容疑者の西武雄さんは
死刑が実行されています。

  (今日のシンポジウムからだけでは、冤罪があったかどうかの可能性について
  私は何にもいえないから断定はしません。。。)


森さんの本を何冊か読んでいたり、すごく時々だけどシンポジウムへ出かける私には、
これはよく耳にする台詞です。

でも、やっぱりそうだな、と思います。


「知っているということと気づくということは違います」

とも言われていたけれど、
たとえ福岡事件について、どこかで聞いたことがあったり知っていたりしても、
実際、アタマから何処かに飛んでしまっているのです。

それは、94年ルワンダ虐殺にも、
ダルフール紛争にも、
この前おこったケニアでのデモにも、
ミャンマーのデモにも、
チベットでの弾圧にも、
いえることだと思います。

日本で起こった問題でなかったり、
昔の話であったりと、
身近な事件ではないからかもしれない。

でも、「多数の人権」を考えるときに、まずは「ひとりの人権」から守るべきように、
いままでおこってきたたくさんの事件から検証する、リテラシーみたいなものを、
失わないようにしないといけないな、って
それはすごく難しいんだけど、
でも、そう思いました。

「叫びたし 寒満月の割れるほど」(西武雄さん)

もしも無実であったのならば(きっとそうなんだろうけど)、
獄中で、世界の理不尽さに、なにを思うのだろう。

叫びたい。




                                 (2008年3月新橋)

2008年6月12日木曜日

強さ

                               (2007年2月香川県直島)
今日は思っていた以上に、いろいろ予定が入たので、
好きな言葉をのせて寝ることにします。ねむい・・・

「経験すればするほど、人は強くなんてなれない。
人はどんどん、繊細になっていくんだ。」
(映画『マグナムフォト』より)


紛争の写真を撮ることをやめた、北欧のジャーナリストの言葉。


旅館でバイトすることになりそう。

久しぶりに
少し、いや、けっこうわくわくしてる。

2008年6月11日水曜日

私の好きな人


坂口安吾が好きです。
彼の言うことは、とても優しい気がします。

特に「私は海を抱きしめていたい」はとても好きです。
彼女のことを愛しているけれど、
それは彼女の肉体を愛しているのか、
じろりとした目を愛しているのか
いやらしさを愛しているのか、
そのものを愛しているのか。

本当は彼女の肉体を超えて、
海の波が人を飲み込むように彼女を包み込みたい。
そういっているようで、
傲慢でなく、
強がってもなく、
こうあらねばならないという誰かからの押し付けからも自由な主張が、
優しい気がします。

私が思う優しさとは、 人が社会の中で生きていくうえで、
「私」と「他の人」という枠組みを超えて、
世界を受け入れようとする思いにちかいと考えています。


「私はなべて所有を欲しなかった。
魂の限定されることを欲しなかったからだ。」
(「風邪と光と二十の私と」)

2008年6月10日火曜日

数の話


秋葉原での通り魔殺人事件。

その時私は御茶ノ水にいたし、
あまりにも自分に身近な場所での事件だった分、
ニュースを聞いたとき、寒気が走りました。
友達が巻き込まれていたかも、とか
私がその場にいた確率はゼロではなかったと思うと、
とてもリアルに感じました。

今日の英語の授業でアメリカ人の先生が言いました。

「でも、NYではそんなこと毎日なんだよね。
残酷な事件だったけど、それでもアメリカに比べれば日本は治安がいいよ」

そしてこういう事件は、ありえることなんだ、という話を数の問題から話し始めました。

もしも1パーセントの人が狂人でおかしい奴だったら、
1億2500万人いる日本だと125万人くらいの人がおかしい人で、
アメリカだと3億人いるから300万人くらいがおかしい人。
もっと小さな確率で、
1万分の1の人が狂気的に人を殺すような人であったとしても、
日本だと1万人くらいが当てはまる。

そうやって考えれば、これは例外中の例外の人の犯行であって、
考えても仕方のない話、ということになります。


でも、本当にそうかな。

いろいろ検証しないといけないことはあるとは思うけど、
なにを考えるべきなのかは眠たいから省きます。


でもでも、
この話の主体である、先生やもしくは一般の人が、
どうして狂気的になりえないことが前提なんだろう。

どうして自身が狂ってないっていえるんだろう。

ルワンダの虐殺だって、
ホロコーストだって、
ケニアの暴動だって、
戦争のときの日本人だって、
浅間山荘でのリンチだって、
ホームレスへの襲撃だって、


「戦争だから」と簡単に人を殺して、
もしくはそんな理由さえもなく暴力をふるうって、
狂気的じゃないかな。


それでも、当事者たちにとっては、
それは正解で正義で正常であったはず。
正義をかん高く語ることは、恐ろしいことでもあるとおもいます。


この事件の容疑者を擁護するとかそういうことではなくて、
先生のその数の理論には納得がいきません。

それを英語でいってみたけど、わたしの speachではうまくいかず、
不完全燃焼。
ということでここでつぶやいてみました。

2008年6月8日日曜日

こうりつ的

[2007年8月]

JR新橋駅改札口を出て、50M程進むと路地がある。
そこには大きなパラソルがひとつ、毎日開いている。

パラソルの下には靴磨きの小さなおばあさんがいる。
沢村さん(87歳)だ。
声をかけるとしゃんと背筋を伸ばして、上品にほほ笑んだ。

沢村さんは夫を亡くした後、60年以上靴を磨いている。
私の年齢の三倍近くと思うと驚きだ。
この小さな手で靴を磨き、一人で息子を育てた。
その息子も、停年退職したという。

靴磨きを見せてもらった。
お客が台上に足を乗せると、小さな手に持ったブラシをカチカチ鳴らせて磨いていく。
つーんと鼻につくニスを、ストッキングでさっさとのばした。
靴は太陽の光を鈍く反射させた。

「職人技だ。」
思わず言葉を漏らした私に、沢村さんはもう一度、にこりとほほ笑んだ。
いつの間にか沢村さんのパラソルの前には、5~6人の列ができていた。

「お母さん、いつもありがとう」

ピシッとスーツを着こなした50代程のサラリーマンが、ビニル袋に入れたお茶とバナナを手渡した。

「あんたも仕事、頑張ってね」

満足そうに帰っていく彼の後姿を見ながら、私はお客と靴磨きを超えた、優しさを感じていた。


帰り道、電気で動く自動靴磨き機を見つけた。
値段は一回100円。
沢村さんの靴磨きの五分の一の値段だ。
沢村さんが磨いてくれるよりも速く、美しく、効率的だろうが、その機械の前に立つ人はいない。

効率化が叫ばれていても、人はそこから見落とされるものを恋しく思う。
少しくらい抜けていたり、遅くたっていいじゃないか。
「ありがとう」と言い合えることが何よりもうれしい。

2008年6月7日土曜日

ちち

                                   (2006年夏)

昨日、っていうかさっきまでの6月6日は父親の誕生日でした。
「あ・・・、なにもしてない、やばい・・・」

と思って父の好きなアロハシャツ型のメッセージカードを送ってみました。
電話もしてみました。


ナントナク、
中学生時代以降父親と話すのは苦手です。
というか彼自体が苦手なのです。



勝手で、何でも自分の論理で押し込めて、頭もよく知識もあるから
いつも言いこめられる。


苦手なのです。
いつも避けよう避けようとしてきました。

高校生のときに、突然東京の大学へ行きたいと言い出した私に、
「お前はすぐ人に流されるから、東京の大学に行ったら
きっと東京で就職してしまうんだろうな。」
と、いやみをいわれて、


(なるほど、そうしよう。・・・絶対、家になんて帰るもんか。)
と心に決めました。


でも、実はわかってるんです。
父が苦手なのも、
父から離れたくて東京へきたのも、
父をかなり意識しているから。
うーん、あんまり言葉にしたくないけど、尊敬しているから。
絶対負けたくないと思いつつ、彼の存在を越せないことを認めたくないから。



最近、かなり私のことを話すことができた新しい友達に、
「君の壁は父親だね」 といわれたけれど、

うん。
知ってた。
って感じだし、なんだか当てられてうれしかった。
って言うか思わず泣いちゃったよ。

むーー

とりあえず、
お父さん、お誕生おめでとう。
実家に帰るたびに歳をとっている姿が目に見えるので、
父も歳をとるのかぁ・・・と実はビックリしています。
長生きしてください。

2008年6月5日木曜日

おにぎりの自由

                               (2006年9月キスム)

ケニアで昨年から今年のはじめにかけて起こった暴動。

あれは一体なんだったのか、
どういったものだったのか、
現地で撮られた映像を見ながら考えるイベントへ行ってきました。


マスコミに流れた映像ではなかったから、ショッキングなものばかりでした。
鉄砲で撃たれた人の頭から脳がどろどろ出てきていたり、
安置所に死体が山のように詰まれていたり、
警察官が民間人に銃を向けていたり、
銃で撃たれたおばさんが血を流しながら病院へ歩いて向かっていたり。


私はだしてもらったおにぎりを少し食みながら、そんな映像を見ていました。
私がアフリカに興味をもったのは、
94年のルワンダ虐殺を描いた映画「ホテルルワンダ」を見て、
自分がアフリカについて、世界について何も知らないんだなぁ、とショックを受けたからでした。
それでアフリカへ行ってみたわけだけど、
やっぱり、私とは関係なーいみたいな、まるでテレビのドラマでも見るような雰囲気で、
結局はおにぎりを食べている。


もしも、私が日本に生まれて、大学生になって、ホテルルワンダをみて、ケニアへいけたことが
ただの偶然で、
ケニアに住み、ただの日常を過ごしていただけなのに、暴動に巻き込まれてしまった子供たちや、
レイプされてしまった女の子たちがただの偶然でそうなったとしたら、

私が持っている自由ってなんなんだろう。


おにぎりの自由。
というよりもおにぎりを食べてるだけの私の自由への疑問。

2008年6月2日月曜日

ウェンディーへの手紙

「僕は今ネバーランドに来ています。
このネバーランドの住民は、ピーターパンのようなコドモの心を持って生きています。
みんな単純なアクション映画に大興奮し、オトナが『くだらない』と思うようなコメディー番組に腹を抱えて笑い転げています。
そして、怒ったら熱くなってけんかして、悲しかったら大声で泣いて、仲直りしたら抱き合って、うれしいときは本当に顔をくしゃくしゃにして笑って、なんかすごく自分に素直に生きているんです。
そんなストレートで熱い感情表現に出逢って、はじめはかなりショックでした。
だって自分は今まで感情を抑えて人に見せないようにしてきたし、それがオトナでかっこいいことだとずっと思ってきたんだから。

でも、ここではみんな素のまま表現しているんです(それが自然だから「表現する」なんて意識もないだろうけどね)。
ここは大地だけでなく、人間まで自然に溢れているんです。

昨日は『キリストの奇跡』というイベントを見に行ってきました。
カンパラの国立競技場に設置されたステージの上で白人の宣教師が奇跡を次々と起こしていくんだけど、本当にビックリしました。
だって、車椅子の人を立って歩けるようにしたり、聞こえなかった耳を聞こえるように治したり、そんなことを大マジメな顔でやっていくんだから。
しかもそんな『奇跡』がおこる度に、競技場を埋め尽くす観客は、感性を上げ、泣き、踊り、もう大騒ぎ。
日本じゃ奨学生にも『やらせでしょ』で一蹴されてしまいそうなショーなのに、彼らは見たものを見ままに信じているんです。
彼らは日本の奨学生より純粋なコドモ心を持っているんです。

でも、そんなネバーランドにも外からオトナたちが入ってきます。
そして『ちゃんと時間は守りましょう』『お金は計画的に使わないといけません』『子どもは学校に行って勉強しましょう』と、オトナになるための教育をしようとします。
そんな国連やNGOのオトナたちは、『彼らのためを思ってやているのに、何でわかってくれないのか』と口をそろえて嘆くし、逆にネバーランドの住民たちは『オトナたちには僕らの気持ちなんかわからないんだよ』とよく呟いています。
僕らが小さい頃にやった親や先生とのやり取りと、まったく同じモノがここにはあるんです。
まあそんなオトナたちの努力のお陰で、そのうちこのネバーランドの住民たちも立派なオトナに育っていって、このネバーランドももうすぐ世界から消えちゃうんだろうけど・・・・。

今はまだピーターパンが笑いながら踊りまわっています。
僕は今そんなネバーランドに来ているんです。」
                         (『流学日記』岩本悠より)

28日にTICAD(アフリカ開発会議)が閉会しました。
上の文章は最近友達から貸してもらった本のエッセイの一つ。
著者がアフリカで書いた文章です。
なんだか気にいっているから、アフリカがらみで載せました。

                                  (2006年9月ケニア)