2008年12月8日月曜日

[2008年6月八戸]

八歳の子が作った詩らしい (『天の瞳 少年編Ⅱ』灰谷健次郎 より)

「きんぎょばち」

きんぎょばちに 入っているきんぎょを
よこからみると大きくみえる
上からみるとちいさくみえた
どこから見たら
ほんとのきんぎょにみえるだろう



ーーーーーーーーーーーーーーー

右から見える金魚が本物だったら、上から見える小さい金魚は何者だろう?
上から見える小さな金魚が本物だったら、左から見えるきんぎょは何者だろう?

私が見ているものは「本物」といえるのかな?
ただひとつの姿しかないと言い切ってしまうことは、少し寂しい気がしますね。

でも、もうひとつ。

本当にきんぎょがそこにいるのか、ということも問題にしていいのかもしれませんが・・・。

2008年11月24日月曜日

おばけならいうだろう


(2008年10月19日くらい 国立市)

「おばけならいうだろう」

けしゴムを つくったから
えんぴつを つくったんだ
と おばかさんが いった

えんぴつを つくったから
けしゴムを つくったんだ
と せんせいが いった

えんぴつを つくったのに
けしゴムを つくったのか
と かみさまなら いうのかな

けしむゴムを つくったのに
えんぴつを つくったのか
と おばけなら いうだろう

(まど・みちお)


灰谷健次郎さんの『天の瞳』で、
小学5年生のフランケンと言う少年が、国語の授業中にこの詩をクラスメートに紹介します。
みんなそれぞれにひとりひとりの解釈を発表していきます。

おばかさんはおばかなことをいってる、とか
先生は正しいことを言ってる、けど、当たり前すぎて面白くない、とか
かみさまはせっかくえんぴつで書いたものをけすとは、何にもならない事をするな、と怒っている、とか
いやいや、かみさまは人間の作ったものに感動している、とか
おばけは自分の権威をなくしたくないから消しゴムが大事なんだ、とか

この詩を作った人は、わざとおばかさんを最初に持ってきてわざと間違ったことを言わせて、みんなをおもしろがらせている、だとか
お化けの気持を読んだあとに、もっかい最初のおばかさんからよんでみたくなる、とか。


一人一人の解釈や考えがぐるぐる渦巻いて、それに触発されて他の子の考えも渦巻いる。
絶対の答えなんかそこには存在しない、でも、それぞれの考えが関係しあう、
そんな感じに思えて、とてもお気に入りのシーンです。

最近、小学生のときにとてもお世話になったT先生に手紙を出したら、返信が来ました。
T先生といえば、
「自分が悪いと思ったことはしてはいけません。でも、自分がいいと思ったことは進んでやりましょう。」
というその言葉を、私は今も心に残しています。

今でも忘れられない授業があります。
小学4年生のとき。
T先生の国語の授業で春に関する詩が取り上げられ、話し合われました。
どんな詩なのか、誰が書いたのか、全然覚えてないのですが、
その詩にでてくる「くも」が「雲」なのか「蜘蛛」なのか、
それを何時間にも渡って話し合いました。

「雲」なのか「蜘蛛」なのか。
どちらであるかによって、その詩から見える風景は大きく変わります。

こういう風にあるから「雲」だ、とか
こうあってほしいから「蜘蛛」だ、とか

大人にしてみれば、「そんなのどうだっていいじゃん」ってことだったかもしれない。
多分教育指導要綱にはそんな指導マニュアル、載ってなかったんじゃないかな?
でも、T先生はだれかの「このくもって蜘蛛じゃない?」っていう声を聞き漏らさなかった。
だから、そこからたくさんの想像力がみんなの中で膨らんでいった。

とっても楽しくて、その時の記憶は今でも心に残っています。

T先生から来た手紙にはわたしの小学生の頃の様子が書かれていて、
そこから今の私を想像した文章がつづられていて、
「先生、よく私のこと、みてくれてたんやなぁ・・・」って本当にうれしくなりました。

先生ってすごい職業やと思います。
生徒ひとりひとりと対峙しないといけないやろうし、場合によってはその子供の人生に大きな衝撃を与えたりする。
良くも悪くもね。
今は競争競争って、先生に子供をちゃんと見ている余裕がない時代とよく言われておりますけれども、
なんかそれってやっぱり悲しいなぁって、
「おばけならいうだろう」をよみながら、考えてしまいました。

日記


(2008年10月秋葉原)

たしか、そう。
こうやって空を仰いで、それから前を見た。
前には彼(または彼女)がいた。
そのときの空は私だけのものであってほしいと思った。
文脈とか、置かれてる状況とか、世間体とかその一瞬はないも同然だった。

とても好きな人と一緒に歩いた。
ときどきもうひとりの自分に「正直になれば?」と言われる。
でも、そうしたら、すごく自分が汚らわしいと感じる。

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とりあえず、抽象的にとめときます。
たとえ誰も読まないにしても、ブログに載せられるのはこれくらい。笑

夢と現実

                                 (2008年10月御茶ノ水)

今回は気になった本から引用をしてみます。
その「本」とは、マドンナの「SEX」(1992年同朋舎出版)という写真集です。

この写真集は一見とても暴力的なセックスシーンやSAFERでないセックスが載っています。
でも、冒頭にはこんな風にあるんです。

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この本のテーマはセックス。
セックスは愛ではないし、愛もセックスではない。
でも、どちらもひとつに解け合ったときが最高の状態。
私たちは神を愛することも、地球を愛することも、人類を愛することもできる。
相手が何であろうと、愛することができる。
でも、人間が愛を表現する最高の手段は、お互いが愛し合うこと。
そうやって、私たちは宇宙にまで愛を広げていく。

ひとりひとりが伝えていく。

愛とは私たちがつくり、そして、伝えていくもの。

この本は、危険なセックスを認めているわけではない。
ここにおさめられているのは、私の想像の世界。
とりとめのないことをぼんやりと考えたり、ぐったりと頭も体もリラックスしているとき、私はいちいちコンドームのことを考えたりしない。
人間なら誰だってそうだろう。
私の想像の世界は、私のつごうのいいようにできている。
だから、エイズの心配もない。
残念なことに、現実の世界はそうはいかない。
コンドームは必要だし、ひとりひとりに課せられた義務でもある。
あなたがこれから見たり、読んだりすることは、すべて想像の世界であり、夢であり、一種の「ごっこ」だ。
でも、もし、夢の世界を実際にためすことになったら、私は間違いなくコンドームを使う。
安全なセックスをすると言うことは命を守ること。
覚えていてほしい。

それから、この本に登場する人物や出来事が何かに似ていたり、実名や実際に起こった出来事が書かれていても、それはすべて、たまたまそうなってしまったということだ。
この本に、「本当のこと」は一つも書かれていない。
ぜんぶ私のつくりごとだ。
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この文章に魅かれてしまいました。
「コンドームをつけることが義務」と言うのは、私には賛成しかねるし、ふしぶしうーんってなってしまうところもあるのですが、
でも、 マドンナなりに「愛」をセックスから考えていて、 その態度がとても誠実な気がしたんです。

「私の作りごと」である世界と、自分とは違う他人がいるいわゆる「現実の世界」。
どちらにに対峙するかで、自分の態度を変えようとするあたりも素敵だなって思ったし、 じぶんの「夢」「作りごと」を「夢」として追求しようとすることもなんだか潔い気がしました。
なにより嘘っぽくなくて、快くその「夢」を聞いてみたくなりました。

現実の世界って、誰か自分とは違う他人がいるからこそ、他人に配慮すべきだと思います。
自分の夢を守ることも大切だけど、「現実の世界」を豊かにすることも私は大切であってほしいなって思います。
この手のいわゆるヌード写真集はそういった「夢」と「現実」についての区別を断ることが少ない気がするんですが、
マドンナは冒頭で彼女なりの「愛」を語ることによってどちらの大切さも語ろうとしている気がします。

なんだかクールなきがするのは私だけかしら??

2008年11月18日火曜日

毛ぼうし

↑私のお気に入り、雲の長さを測る男 (2008年8月金沢21世紀美術館)


突然もやもやとかきたくなってしまったので、久しぶりにブログをつづります。


でも、特に今すごくかきたいことはないから、
ただ、だらだら文字をつないでみたかっただけだから、
あと、いますっごい眠いから、
けど、ちょっとでいいからかきたいから、

「OH FUJIOさん」の「毛ぼうし」を下にアップします。

私もふじおさんに会ってみたいなぁ。
たぶん、私をたんなる私として受け入れてくれる気がする。
地位とか階級とか学生だとかあんまり関係なく。
海辺のカフカの中でネコさんと石さんと話をするナカタさんみたいに。


YouTube - 岩井俊二 / 毛ぼうし(ニットキャップマン) Moonriders


岩井俊二といえば、庵野監督のイワイシュンジ出演「式日」と言う映画はエヴァみたいだった。
庵野監督作品って感じだった。
でも表現が直接的すぎてわたし怖かった・・・。(あ、ラスト3行はまたもやたっぷり独り言だわ・・・)

2008年8月5日火曜日

図書カード

                      (2007年6月長野県上田市無言館)
                      (なんだか空がスケッチみたい~)


大学の図書館では自動貸出機で本が借りられますが、

本の裏表紙には2005年くらいまでの
 貸し出し年月日の記録が記載されています。
きっとその年くらいまではいつ貸し出されたのか、
記録していたんだと思います。


誰が借りたまではわからないけど、
古い本なんかを見ると、
何人も何人も借りているとわかる記載に、
うっとりします。
その一冊の本の歴史を私もつないでいる気がします。

ときどき誰も借りられていないみたいだと、
私が一番最初に借りることが、
ナントナクうれしく思われます。
この本の歴史は私からはじまる、
みたいなきになってしまいます。


自動貸出機にはかなりお世話になっているし、
そっちの方が便利なのもわかってる私ですが、
図書カードが教えてくれる、
一冊の本の歴史の流れに私も加わってるっていう
証拠みたいなものがほしくなってしまう。
えーと・・・、本の、歴史の、知識の「所有欲」ではなくて
どちらかというと「つながり欲」かなー。

『耳をすませば』みたいだけど、
アナログな関係がときどき恋しいです。

2008年8月4日月曜日

さとうとしお物語2

                            (2007年8月波照間島)
さとうとみそがひそひそと話し出した。
さとう「ねぇ、みそ君。あいつをごらんよ。あそこの赤くてべとべとな奴さ。」
みそ「どいつだい?あ、あの卵焼きにのっかってるやつかな。」
さとう「そうそう。なんだか酸っぱいにおいがして、僕は耐えられないよ。近くによるのも憚れる。」
みそ「本当にまっかっかだね。ありゃぁ悪魔の血が流れてるんだな。きっと。」


ひそひそひそひそ。

ひそひそひそひそ。

ひそひそひそひそ。


赤くてべとべとした彼は、さとうとみその声を聞きながら、少し悲しい気持ちになった。
何を言っているかはよくわからなかったが、ぎらぎらとにらまれることが辛かった。
彼には彼の言葉があり、
彼には彼の料理に対する思いがあった。
それはさとうにもみそにも理解されないものだった。
声を上げたとしても、おそらくさとうとみそは聞き取れない。
彼は黙っていた。
ひっしで口元を押さえて声が漏れないようにした。


ひそひそひそひそ。

ひそひそひそひそ。

しお「さとうくん、みそくん。君たちは君たちが理解できないものを危険人物扱いするようだね。」
みそ「何言ってるんだ。だって、ありえないだろ。真っ赤でべとべとして。言葉も通じない。あいつが何者かなんてだれもわかりゃあしないよ。」
しお「自分が知っている調味料の世界観をみんなにおしつけるのは、ずるいんじゃないかな。彼らは彼らの幻想を持っているかを考えもしないで。」
さとう「じゃぁ、しお君はわかるって言うの?」
しお「うーん・・・わからないなー。」
さとう「なんだよ、それ。笑っちゃうよ。君もどうせ、わからないんだろ。」
しお「うーん・・・、でも彼の声が聞こえたらいいなって思ってる」

★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★☆☆★

参考: 『エピクロスの園』(アナトール・フランス)

2008年8月1日金曜日

味わい

              (2007年8月 沖縄 多分波照間島かな~)
昔から相田みつをさんは苦手でした。
結構私の友達でも「好き」っていう子はいるし、
テレビでも特集されてたりするし、
詩を毎日読んで元気付けられてるって言う人も知ってます。

別に、それがうそだとか、
批判したいとか
そういう話ではなくて、
そう、全然なくて、
ただ、なんだか、
人生の教訓みたいなものが
ちょっと無責任な気がして苦手だったんです。
なんだか疑わしかったんです。

月刊PLAY BOYの今月号「詩は世界を裸にする」特集(9月号)を購入しました。
谷川俊太郎さんのインタビューがのっているんですが、
彼はこういいます。

「詩は、メッセージではない。
人間の意識を開放するものです。
おいしい食べ物のように
味わってほしいんです。」

確かに、目の前のケーキに、ローストビーフに、ラーメンに
「おいしいでしょ」とか
「こういう風に食べなさいよ」とか
言われたくない。

この箇所がおいしいとか、
まずいとか、
もしくは全然関係ないこととか考えながらでも、
自分の味覚で味わいたい。

名言がどれだとか、
これで感動できるとか、
これで人生がわかるとか、
そんなものはやっぱり胡散臭い気がする。

私と詩と素朴に関係を持つだけで、それでいいじゃない、って思う。

ある明確なメッセージが発せられていたとして、
いったい誰がそれを正確に受け止めることができるだろう。
理解できるんだろう。

今日読んでいる本(アナトール・フランス)によると、
わからないから、不完全だから、
だから人生なんだって。

昨日みた「秒速5センチメートル」で、
種子島を旅立つロケットを見ながら、
貴樹が遠い遠い宇宙に、求めているものに、
ずっとずっとひとり孤独で立ち向かっていくロケットを思うシーンがあったけど、

完全さや心理を求めつつ、
見つけられないことがこの世界を包んでいる気がする。

2008年7月22日火曜日

分かり合うこと

「分かり合うことが愛だと聞きました。



そうだとしたらみんな一人ぼっち。」



plastic treeの「理科室」より。
たぶんこんな感じの歌詞だった。

今までだったら絶対聞かないジャンルだけれど人に薦められて聞きました。

分かり合うことができることなんてありえるのでしょうか。
相手の思っていることや考えていることを理解できたと思えたとしても、
それはきっと自分の中だけ。
「分かり合った」としてしまうことで、相手の言葉を声を聞かなくなってしまってはいないでしょうか。
もしかしたら、相手が言いたいことは、
分かり合えたと私が思っている以上のところにあるかもしれないのに。

だから、みんながみんな分かり合えてしまったら、
もう、みんな独りぼっちになってしまう。
そんなものが愛だとしたら、愛ってすごく暴力的。

わかることができないから、
耳を傾け続けていたい、
というほうが優しい気がします。

2008年7月20日日曜日

さとうとしお物語1

                   (2006年12月イケブクロ)
さとうは考えた。
あるとき、本当は自分はしおではないか、と考えた。
白くて砂みたいにさらさらで、キッチンにおいてあって。

自分はさとうであるのだと錯覚しているだけではないかと思えてきた。

さとうは自分の味がわからない。
「さとうが甘い」と言われたところで、本当に甘いのか自分の口では確かめようがない。

今まで自分はさとうだと思ってきたし、他の人にもそういう風に言ってきた。
だから、実は自分がしおだとばれてしまうことが、
突如、とてつもなくこわくて仕方がなくなった。

たとえ、さとうであることが正しくとも、
まずは誰にもばれないようにさとうかしおか確かめてみる必要があるきがした。
確認しておくことは、誰かにばれてしまう前の準備として大切なことだった。
安易に人にばれてしまうことは、自分が確信してきたアイデンティティを失うことだ。
そんなことばかりを考えて、3日三晩眠れずに過ごした。

「私は何者か!!」

とうとうさとうは叫んだ。
するとその調子を見ていたしおがいった。

「何者でもないさ。
みんな何かである素振りをしているだけさ。」

^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
本当、今のわたしはさとうです。

2008年7月18日金曜日

他人って鏡みたい





可愛い女の子のお話は好きです。
正直な女の子のお話も好きです。
私は男の子になったみたいにドキドキします。

My Blue Berry Nights という映画を見ました。
いわゆる恋愛モノとか青春モノみたいな作品(映画も小説も漫画もアニメも)が苦手で
全く期待していなかったんですが、
結構、私好きみたいでした。
どきどきしました。


この作品の言葉から、確かこんな感じの一言。

「他人って鏡みたい。
みんな誰かを見ながら自分を見てる。」

すきです。不覚にも・・・。
こういう女の子。


http://jp.youtube.com/watch?v=qE7kHvBnXss
(よくみたらやっぱりフランス・香港映画だった。)

2008年7月14日月曜日

クライマーズ・ハイ

映画『クライマーズ・ハイ』を見ました。

(1985年8月12日 御巣鷹山に日光航空機墜落。その事件を追いかける新聞記者たちのお話。)(これは朝日新聞)
(これはNHKのドラマ映像かな・・・)


本を読んだこともないし、ドラマも見てなかったけど、
なかなか迫力満点でした。
俳優もみんな上手でした。

まず、○○通信のぴーこがあまりにも今と同じでまずビックリしました。笑
事件後の編集局も、きっとあんなふうに大騒ぎだったんだと思うし、
あと、過労で倒れる場面なんかも、
「新聞社」の再現が忠実でなかなか抜けてません。



とても好きな記者に
「どんなに短くても、小さな記事でも、この情報のためにある強い思い。
それが新聞を支えているからね。」
と言われたことを思い出しました。
彼の声は太く、低く、そして語っていました。
この言葉は私にとってとても重いものでした。
思い出すと、記者になりたい私としては、
たまらなくなりました。

文字一つ、情景一つとっても、その一文をかくための労力の大きさ。
情報に対する責任。
伝えたいって言う思い。

特に、佐山さんの書き直しの文章は本当にぐっとなる。


個人的に、心に残りました。
私が伝えられるものってなんだろう。
課題です。

2008年7月9日水曜日

表現


                  (2008年6月)

「爆笑問題のニッポンの教養」という番組が実は結構好きで、
毎週欠かさず見ています。

っていう唯一の番組です。
日本中の大学の先生や研究者にインタビューするって言う番組です。
けっこういい言葉が見つけられます。
ゴリラの研究の回とかすごく楽しかった!!

きょうは東京芸大の宮田先生。
生徒の絵をさして、

太田「先生だってわかんないでしょ~」

先生「ははは!芸術をわかろうとすること自体が問題外だよ~」

というシーンがすごくよかったです。
私的に。
ちょっと泣きそうでした。笑


まさしく明日の「表言論」のテストのためにまとめている内容です。

表現を論ずることに疑問を投げるってことは、
明日のテストはすごく先生にとって嫌な回答になるかもしれないな~
先生の人柄とかまじめさはとっても好きなんだけども。
ちょっとどうしよう。
単位ももらえなかったらどうしよう。


多分、 芸術のみならず、何かを、 わかろうとする、論じようとする、
「私自身」を押さえようとしている気もしています。

だから、明日のテストはそういう内容をかきたいんだと思います。

「表現」への葛藤。

2008年7月4日金曜日

「自分で生きるということです」

                     (2007年9月北海道)
今日、もやもやとした将来への気持ちをつぶやく私に、T先生が言いました。







「自分で生きるということです」

2008年7月3日木曜日

アイあい

                (2007年8月金沢21世紀美術館)

先日、国立市にある15 APARTMENT 国立店の展示作品に興味を持ち、
今日はその絵をかいている生徒たちの絵画教室へ行ってきました。

障害者が主ですが、コンセプトとしては障害も国籍も性別も関係なく、

ボーダレスに活動しているNPOです。
(
NPO法人アイあい)

今日の生徒は10人くらい。
みんな○とか×とか△とかをたくさん練習していました。
先生が女の子をさして私に言いました。

「この子は7年間△がかけなかったのよ。
でもね、三角の核の部分をちょぼで三点つけて練習して練習してやっとかけるようになたの」


彼女は今もそのちょぼを書きながら曲がった三角を練習していました。

「今まではどうしても線と線をつなぐことができなかったのよ」

時々線と線が離れますが、そのこは三角を一生懸命つなげていました。
私は何気なく△をかきます。
すっごく簡単だと思います。
でも、彼女にはできない。
おそらく、△をとらえる、認識する基盤が私と違うのです。
△を見て私は三角だと思います。
でも、おそらく彼女には△が私のようには見えていないのです。


私は普段から、自分の目の前に見えるものは誰もに見えていると信じています。
太陽は暑いと、 水は青色に塗ると、 風は目に見えないと、 花はいいにおいがすると、
ナントナク信じています。
でも、それは仮説であるべきです。
「私」が絶対ではないのです。
彼女が三角を△ととらえないことを私は受け入れるべきではないか、と思います。
そのほうが優しいと感じます。

「私」を押し出すことは、他人を認めないことかもしれません。



今日、大学のある授業でバリ島の「ケチャ」が紹介されていました。
先生はこういうようなことをいいました。
「16ビートはシナプスからアドレナリンを出す効果があるという実験があります。

だからケチャを演奏するバリの人々にも、ポップスの16ビートも人を快くしている点で共通点が見られます」

本当にそうでしょうか。
ケチャを16ビートで感じることなんてできるのでしょうか。
それは西洋的な音楽観で無理に当てはめているだけではないでしょうか。
バリの人々はそもそもケチャを音楽と感じているのでしょうか。
芸術はシナプスで語れるような快楽なのでしょうか。
シナプスで語れるんなら、いつか芸術は本当に完璧なものとして完成してしまうかもしれません。



私は△を彼女にかかせることは、少し横暴なように感じてしまいました。
でも、ここは絵画教室。
教育の場なわけだから、暴力的な指導が必要なのかもしれません。

私がなんでも「好きなようにすればいいじゃん」ということは頓珍漢かもしれません。
同時に、この教室は彼らの人とのコミュニケーションの場にもなっているようで、
「絵」を描くこと以外の表現も、ここへ行く目的になっているようでした。

この絵画教室の先生兼NPOの代表の方はなんだかすごくパワーがあって、 私も一緒に講義を少し聞いてみたくなりました。
次は川崎のアイあいの美術館へ行ってみようと思います。

2008年7月1日火曜日

人間くささ

                (2008年6月25日青森県奥入瀬)

エイズって、とっても人間くさい病気だと思います。
すごく人間くさい。
だから、 偏見もあるし、差別もあるし、正しい情報はなかなか人々に共有されていないし、
たくさんの問題を抱えています。

でも、人間くさいからこそ、 適切なケアが優しくできれば、
「私」っていうアイデンティティが確かめられたら、
新しい気持ちで病気を迎え入れることができるのかもしれない。

「自分」を発見させてくれるめがね。




昨日、T地区のエイズ協議会に出席しました。
そのなかで、エイズになってしまったことを誰にも明かすことができないまま、
孤独死してしまった人の話を聞きました。
ショックでした。
誰かに打ち明けることができたら、適切な処置ができただろうし、
そんな寂しい思いをして死ぬこともなかったのではないかと思います。

日本においてのHIV陽性者は、ほとんど性感染によるものです。
「性」とは、「心が生まれる」って書くように、すごくデリケートなもので、
人と人とのかかわりを示す記号になります。
それは関わりのみならず、自分がどんな人間かをも時に示すでしょう。
だから、性感染症であって治らないHIV感染とは、人間くさいといえる気がしています。



例えば、東南アジアで売春をして陽性者になってしまった男性にとって、
陽性であることのカミングアウトは、
家族の中での「父」とか「夫」という威厳の損失につながると考えられます。
それは、今まで隠してきた「私」の一部分を他人に打ち明けることとも言えるでしょう。
今まで他人に示してきた自分の生き方を屈がえすことにつながります。


最近読んだ「服従の心理」にかかれていたような「権威」に関わってくる問題といえるでしょう。
人はある規律を持った集団やコミュニティ内に入った場合、
「役割」を持ち、それを演じることに懸命になるそうです。
守らなくても死ぬことはないし、でも守っていないとやってられない。
人は「父親」とか「彼氏」とか「彼女」とかっていう役割から、
なかなか離れることができない性質を持っているようです。
このことは人が社会を作る生物であることを示しているようにも感じます。


さて、
この「父親」は、あるとき奥さんにカミングアウトしたそうです。
奥さんは何も言わずに彼を受け入れてくれたらしいです。
奥さんは、この男性が見せていないと思っていた部分を知っていたのかもしれないし、
また、彼が役割を離れて何であっても愛していたのかもしれない。



人と人との関係を示します。

だからこわいと感じるけど、優しく迎えることもできます。
性感染症であり、 HIVに一度感染したらもう治らないからこそ、
「自分」がどういう人間なのかを強く示すし、
人と人とのつながりも強調して指し示しています。
だから、冒頭のような孤独死がもう起こらないためにも、
ちゃんと向き合えるようなコミュニケーションの可能なケアが必要なんだ、って
昨日の会議で強く思いました。

2008年6月28日土曜日

異空間


(2008年6月24日美術館内)      








        

24日、青森では記録的な大雨の中、十和田市現代美術館を訪れました。


http://www.artstowada.com/
美術館 

最近開館してからビジターがとても多い、
という新聞記事を読んでから、気になっていた美術館でした。


なんといっても、常設展示が素晴らしい!
一番のお気に入りは、栗林 隆さんの作品(写真)。

「アザラシが覗き見る天井裏には、この美術館でしか体験することのできない、驚きに満ちた世界が広がっています。ひとつの展示室に異なるふたつの世界をつく り出しました。ドイツ語で湿地帯を意味する「ザンプランド」と名付けられたこの作品で、作家が提示しているのはふたつの世界にある「境界面」です。」(美術館hp より)


椅子を使って、天井裏に続く穴をのぞくと、アザラシ君と目が合います。
アザラシ君の住む世界は日常とはかけ離れた世界。
どきどきしました。


多分、私のアタマも、一見すごそう!と思いきや(誇張してます笑)、
その日のおやつのことしか考えてなかったり、
アニメのパプリカになりたいな・・・ってことしか考えてなかったり。

アザラシとの出会いは異空間との出会いって言うよりは、
よく想像する「私」を視覚化させてもらっただけかもしれない気がして。
(この作品の場合は作者の想像に出会うわけだけれども)

想像って、あんまり誰にもいえない小さな秘密の部分から、
だから
どきどきしました!!


自然、とか二つの世界、とかっていう風に語ることもできるように思いますが、

私にとってはとても親しみやすい作品でした。


2008年6月27日金曜日

なんだかわからないけれど。


                          (2008年6月25日奥入瀬渓流)

2日ほど前、2泊3日で青森県へ行ってきました。
2日目は十和田湖から奥入瀬渓流を探検。

奥入瀬渓流。
十和田湖から焼山に至る約14kmの渓流美。

14キロ・・・はとても長いので、「阿修羅の流れ」から7キロ歩きました。


観光ショップにおいてある渓流地図を持ちながら歩きます。
「阿修羅の流れ」
「雲井の滝」
「銚子大滝」
「白銀の流れ」
などなど、
地図にはたくさんのすてきなスポットが書かれています。


とくに雲井の滝は本当に雲の中から水が溢れ出しているのでは、と思うほど、

たかくたかくたかい場所から勢いよく水が流れ出ています。

たちどまってため息を漏らしてしまうことが
何度も何度もありました。


私は何に圧倒されているのだろう。
なぜ、すごい、と思ってしまうのだろう。

なんだかわからないけれど、

圧倒されてるし、

すがすがしいと感じてる。

なんだかわからないけれど。



鳥が鳴き、
空気が澄み、
雨がぱらぱら降り、
土っぽいにおいがして、
水がごーごー流れ、
コケがしとしとしている。

木があまりにも自由で、
折れてたり、倒れてたり、違う気に巻きついていたり、下に向かって伸びてたり。
笑えます。ww


地図に載っている観光スポットだけではなく、
歩いていると、この空間に立っていることを忘れてしまうみたいに、
ぼんやりしてしまう。
私が空気になったみたい。


「これが雲井の滝かぁ」
と地図に載っているから発見するのではなく、
有名だから、ナが知れているから見るってことは結構どうでもよく、
この渓流の中にいるんだ、と感じることに、
どきどきします。




3時間。
とてもとても疲れたし、靴もジーンズも泥んこになりましたが、
とてもとても楽しいハイキングでした。

2008年6月23日月曜日

嘘をついてもばれるものです。

                                 (2007年2月直島)


リッチでないのに
リッチな世界などわかりません
ハッピーでないのに
ハッピーな世界などえがけません
「夢」がないのに
「夢」をうることなどは・・・とても
嘘をついてもばれるものです

(すぎやまとし 73年12月12日)






昨日の新聞文化面に載ってました。
CM ディレクターすぎやまとしさんのことば。


「嘘をついてもばれるものです。」

できることなら、正直にいきたい。
でも、それも難しい。

2008年6月22日日曜日

オハイエ

(2007年金沢21世紀美術館)
ときどき、いや、いつもかもしれない。
私は結構、人との間に壁を作ってしまいます。
コミュニケーションをとろうとしても、
なかなか自分を表現できなくて、
ぎこちなくその関係を終わらせてしまいます。
壁って言うのはステイタスとか、性別とか、学年とか、初対面であるとか、
いろんな種類があるでしょうけれど、
でも、多かれ少なかれ、壁の存在が私を辛くさせます。
だから、こうやってブログをつづるのも、
コミュニケーションをとりたいがための
一種の自己表現なんだろうと、
認識しています。




今日、映画「オハイエ とっておきの映画祭」を見てきました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/ohaie.htm
仙台市では、障害のある人とない人一緒に音楽を通して楽しもう!
という
バリアフリーな「とっておきの音楽祭」が毎年開かれているそうです。
(とっておきの音楽祭
HPhttp://www5b.biglobe.ne.jp/~totteoki/)
その特徴は、なんといっても街の人みんなで運営するところにあります。
400人あまりのスタッフはみんなボランティア。
ステージは物理的なバリアのないストリート。
買い物してる人、散歩してる人、ピクニックしてる人、
オーディエンスもいつの間にか音楽祭に巻き込まれてしまうのです。


脳性マヒのluluという男の子が途中出てきます。
彼はこの音楽祭に第1回目の8年前から参加しているそうです。
映像の中でジャンプまでしていたluluくんだけど、
監督が初めて彼に会ったとき、彼は話すことも、立つこともできなかったそうです。
でも、
「シンガーだからたって歌いたい。」
と、
歌を歌いながら、お客さんの反応を感じながら、今ではジャンプするまでになったluluクン。


映画の中で、
「うまい、ヘタは関係ないんだ。歌えることなんだ」
というナレーションがあります。
私はいつもうまくコミュニケーションをとろうと、誰かとの間に壁を立ててしまうけれど、
触れ合いたいんだ、 共有したいんだ、
どんなにへたであっても表現することが、
バリアをぶちこわしていることに、気がついていきます。

ボランティアスタッフが、
「だって楽しいから、毎年参加してるんです」
といっていました。
みんなバリアがないのが楽しいから、
街中が活気付いているんだと思います。

来年はこのお祭りのスタッフしたいと思います。

2008年6月21日土曜日

素朴なケーキ屋さん

                         (2007年6月25日長野県上田市)

「お正月の空は澄んでいて、僕はなんだか好きなんです。」
「東京のお正月は人がいないから、
車なんかも走らなくて、静かで、空気が澄んでいるんです。」

今年の1月3日。
私の住んでいる町の、
小さくて古くて素朴なケーキ屋さんのおじさんが言いました。

人がよさそうで、優しくて、ちょっと弱そうなそのおじさんは、
大きな黒縁めがねの中にある小さな目を細めて
お店の窓の外をぼんやり眺めながら、
ちょっとおセンチに言いました。




「素朴なケーキ屋さん、閉店したんだよ」

今日、美容院へ行くと、いつも担当してもらっている美容師さんに言われました。
私と美容師さんとの間で、このケーキ屋さんはよく話題にのぼっていました。
ケーキの味もおじさんもお店も素朴だから
「素朴なケーキ屋さん」と私たちは呼んでいました。


街角にある素朴なケーキ屋さんは、20年ほど前に開店したそうです。
当時、この町は静かで人も少なく、大きな大きな野原も近くにありました。
おじさんは、もっと都会の新宿よりに住んでいるけれど、
人がたくさんいるのが苦手で、
小さかったこの街にケーキ屋さんを開いたそうです。

私がお店に初めて入ったときに、おじさんに挨拶すると、
それはもううれしそうに、
そして素朴に、
いろいろなことを話してくれました。
おじさんはぼそぼそっとつぶやき、
私が笑うとうれしそうで、
私がうれしくなりました。




あのおじさんの素朴さが大好きだったから、
もうあえなくなるのは寂しいです。

おじさんみたいに人が多すぎるのが嫌だ、
と思うわけではないけれど、
ただただ街がにぎわっているだけで、

おじさんとのような、
素朴な関係がなくなってしまうのは、
寂しい。


おじさんの作った素朴なケーキがまた食べたい。

2008年6月20日金曜日

権威


最近、「es」という映画を見てから、「服従」に興味を持って、考えていました。
(esのHP http://www.gaga.ne.jp/es/)

この作品は1971年におこなわれたある実験を再現するような形で撮られた作品です。
実験って言うのは・・・・

1971年、スタンフォード大学心理学部で、ある実験が試みられた。被験者は新聞広告によって集められた24名。彼らは、無作為に「看守役」と「囚人役」 に分けられ、監視カメラ付きの模擬刑務所に収容された。二週間、いくつかのルールに従いながら自分の役を演じること、それが彼等に与えられた仕事だった。 しかしわずか7日目で、実験は中止。現在、この実験は禁止されている…。 (「es」のHPより)


「権威」について調べたアイヒマン実験の『服従の心理』を読んだだけなんだけれども、
なかなか興味深いのです。


例えば、いじめ。

中学生のとき、私が所属していた吹奏楽部内には伝統的な後輩いじめがありました。
先輩は力いっぱい後輩を従属させるというものです。
「私たちに尽くしなさいよ」
という先輩の言葉は未だに忘れられません。
部活を嫌だからって理由で休むとサボったと思われるから、(まぁ、そうなんだけど)風邪ってことにして学校まで休んじゃったって言うくらいに、苦痛でした。
いつもびくびくしていました。
でも、私は全く先輩が悪いなんて思わなかった。
むしろ、先輩に怒られる自分に「非」があると強く思い込んでいた。
また、先輩たちも、私のように過ごした後輩という時期があったからこそ、
(先輩が一番であるという認識を深めて言った時期)
私たち後輩を従属させた。

でも、これってすごくおかしいわけです。
本来ならば、楽器ができるから、よりうまくふけるからという理由で、先輩は敬われる存在であるはずなのに、単に学年が上だからというだけで、先輩が言うことなら何でもしなければなりませんでした。
校則を破ることであっても、法律を破ることであっても、友達をいじめるような行為であっても、
「先輩」という権威には逆らうことができない、という疑うことのできないと思い込みがありました。
また、少人数の問題ではなく、多くの生徒にとって自明のことでした。
当時の私に、
「私が罰せられる理由はどこにもないんだよ」
って教えてあげたとしても、きっと私は

「だって先輩が絶対なんだもん」
といったと思います。
このときの私には先輩に従うという責任しかありませんでした。


もう一つ、例えば
裁判。
さっき周防監督の「それでもボクはやってない」を見ました。
「日本」という国家権力に従順する裁判官(をこの作品は描いていたのだと私は思うんだけど)。
目に見えない「権威」には、たとえある事象が誤っていたとしても、従うことしかできない。
左遷されるかもしれないとか、不名誉であるとか、
「権威」という問題からは切れない要素もここにはあるわけですが、

でも、今までおおっぴらにこの不条理を嘆くことができなかった、
または嘆いたところで大きな声にはならなかったのは、
「権威」に立ち向かうことが、アブノーマルであると
人が考えるという要素もあるように感じます。



人は「権威」の元で、自分の「役割」を演じます。
それは単なる「役割」であって、本来的な私ではないと信じこみます。
そして自分のいかなる行為も正当化させます。



人ってこわい。
「自由意志を持ち、服従は絶対しない」と言うのではなく、
私って、そういう側面も持っているんだって言うことを覚えておくこと。
自分が何ものであるのかを知っておくこと。
それくらいにしか、私ができることはない気がしています。

(なんかレポートみたいになった・・・)

するべきであること


mixiの秋葉原通り魔殺人事件コミュニティを読んでいたら、 興味深くて結構時間がたっていました。
事件からもう2週間というのに、たくさんのコメントが並び続けています。
それくらい多くの人にとって、
大きなインパクトのある事件だったんだなって再確認。

トピックの種類も
・加藤容疑者について
・マスコミの報道について
・健全さということについて
・秋葉原という場所について
・遺族のことについて      
・野次馬について
などなど様々。

平野啓一郎さんの『決壊』が
どうやらこの事件とだいぶかぶった内容のようで、
NEWS23で紹介されていました。
(読んでみたい、けどまだ発売でないらしい)
(つまり、ある程度、この事件について予測できたことがたくさんあった ということだと思う)

「あるところまで耐えることができても、モノが壊れてしまうように、 人間だって我慢しきれない一線を越えたら壊れる存在なんだ」
「人の限界を思う優しさがあってほしい」

というようなコメント。

おととい、ある人に、

「事件が社会のせいだ、なんていいたくない。個人の問題であるべきだ」
と言われたけれど、
私は同意しきれなかった。

被害者でも加害者でもない第三者の立場の私は、 この事件がおこるコミュニティ(世界、日本、東京などいろいろ区分できるだろうけど) に生きていると認識しているのなら、
「私がするべきであること」を考えてみる必要があるきがしてる。

かいてみて、今日は かなり当たり障りのない内容でしかないことに、 ちょっと不満足なブログになってしまいました。

2008年6月15日日曜日


「まーきー!!」

就活がはじまるまで活動していたアデジャパの先輩からさっき突然電話が鳴りました。

私:「は、はい・・・」

最近何の活動もしてなかった私は、少し後ろめたい気持ちで電話を取りました。

「去年、ガールスカウトで話をした高校生が
 今日、ふぉーてぃーにきてくれたの!!!!」

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昨年、ガールスカウトで性教育講座をしたことがありました。
比較的、年の近い大学生が、
中高校生のガールスカウトに
エイズのこと、性のこと、そして自分の体を大切にしようっていうことを話してきました。

先輩は中学生に、私は高校生に、講義をしました。

今日、私が話した高校生の女の子たちが、
先輩がスタッフとして働いている池袋エイズ知ろう館(通称ふぉーてぃー)に
きてくれたというのです。
彼女たちはこれから自分たちも活動したいといっているということでした。


ぐわって胸の奥が熱くなっていく気がしました。
ちょっとだけ、目頭もきゅっと鳴りました。


ぶっちゃけ、私の講義は最低でした。
今まで講義をしたこともなく、
時間ぎりぎりまで先輩と打ち合わせをして、
顔も真っ赤になって、
早口になって、
時間もおして、
なにより女の子たちの反応があんまりよくない気がして。

「結局、何にも伝わってないじゃん」

帰り道、空にそう独り言を言いながら、私の力のなさを悔やみました。

そのこたちが、今日来てくれたのです。
少なくとも、あの講義の時間、私は何かを伝えることができたのです。

その思いとは私が意図したものでなかったかもしれません。
でも、なにかしら私が講義をする意味があったのです。

彼女たちがこれから、エイズについて考えたり、
友達に話をしたり、もしかしたら大学生になって活動をしたりって言うことがあるかもしれない。

すごく熱い感じがのどの奥でするのです。

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「本当にうれしくて伝えたいと思ったの」

先輩(?)に言われて、思わず微笑んでしまいました。

いや、本当に、実はまず最初にこの方に感謝を述べたいですよ。
なんで?って言われたらなんだかわからないけど、(汗)
う~ん・・・すごく彼女が伝える喜びを私に教えてくれたと思うからかな。

寒満月が割れるくらいに叫びたい

「僕たちは知らなかった。
知るべきことを知らなかったということを、まず考えたい。」


今日行ってきた「福岡事件」について考える
「叫びたし 寒満月の割れるほど」というシンポジウムで

森達也さんがこういいました。
「福岡事件」をシンポジウム会場にいる多くの人が知らなかったということ、
こんな重大事件を知らなかったということが、まず、問題なんだ、
と森さんは話しました。


  福岡事件とは1947年の第二次世界大戦直後に福岡で起きた殺人事件です。
  当時、容疑者としてつかまった二人は戦後初の死刑囚となりました。
  しかし、二人とも一貫して無実を主張。
  冤罪の可能性の高い事件で、
  シンポの話によるとかなり傲慢な裁判や取調べが行われていたようです。
  「叫びたし~」を獄中で書いた、容疑者の西武雄さんは
死刑が実行されています。

  (今日のシンポジウムからだけでは、冤罪があったかどうかの可能性について
  私は何にもいえないから断定はしません。。。)


森さんの本を何冊か読んでいたり、すごく時々だけどシンポジウムへ出かける私には、
これはよく耳にする台詞です。

でも、やっぱりそうだな、と思います。


「知っているということと気づくということは違います」

とも言われていたけれど、
たとえ福岡事件について、どこかで聞いたことがあったり知っていたりしても、
実際、アタマから何処かに飛んでしまっているのです。

それは、94年ルワンダ虐殺にも、
ダルフール紛争にも、
この前おこったケニアでのデモにも、
ミャンマーのデモにも、
チベットでの弾圧にも、
いえることだと思います。

日本で起こった問題でなかったり、
昔の話であったりと、
身近な事件ではないからかもしれない。

でも、「多数の人権」を考えるときに、まずは「ひとりの人権」から守るべきように、
いままでおこってきたたくさんの事件から検証する、リテラシーみたいなものを、
失わないようにしないといけないな、って
それはすごく難しいんだけど、
でも、そう思いました。

「叫びたし 寒満月の割れるほど」(西武雄さん)

もしも無実であったのならば(きっとそうなんだろうけど)、
獄中で、世界の理不尽さに、なにを思うのだろう。

叫びたい。




                                 (2008年3月新橋)

2008年6月12日木曜日

強さ

                               (2007年2月香川県直島)
今日は思っていた以上に、いろいろ予定が入たので、
好きな言葉をのせて寝ることにします。ねむい・・・

「経験すればするほど、人は強くなんてなれない。
人はどんどん、繊細になっていくんだ。」
(映画『マグナムフォト』より)


紛争の写真を撮ることをやめた、北欧のジャーナリストの言葉。


旅館でバイトすることになりそう。

久しぶりに
少し、いや、けっこうわくわくしてる。

2008年6月11日水曜日

私の好きな人


坂口安吾が好きです。
彼の言うことは、とても優しい気がします。

特に「私は海を抱きしめていたい」はとても好きです。
彼女のことを愛しているけれど、
それは彼女の肉体を愛しているのか、
じろりとした目を愛しているのか
いやらしさを愛しているのか、
そのものを愛しているのか。

本当は彼女の肉体を超えて、
海の波が人を飲み込むように彼女を包み込みたい。
そういっているようで、
傲慢でなく、
強がってもなく、
こうあらねばならないという誰かからの押し付けからも自由な主張が、
優しい気がします。

私が思う優しさとは、 人が社会の中で生きていくうえで、
「私」と「他の人」という枠組みを超えて、
世界を受け入れようとする思いにちかいと考えています。


「私はなべて所有を欲しなかった。
魂の限定されることを欲しなかったからだ。」
(「風邪と光と二十の私と」)

2008年6月10日火曜日

数の話


秋葉原での通り魔殺人事件。

その時私は御茶ノ水にいたし、
あまりにも自分に身近な場所での事件だった分、
ニュースを聞いたとき、寒気が走りました。
友達が巻き込まれていたかも、とか
私がその場にいた確率はゼロではなかったと思うと、
とてもリアルに感じました。

今日の英語の授業でアメリカ人の先生が言いました。

「でも、NYではそんなこと毎日なんだよね。
残酷な事件だったけど、それでもアメリカに比べれば日本は治安がいいよ」

そしてこういう事件は、ありえることなんだ、という話を数の問題から話し始めました。

もしも1パーセントの人が狂人でおかしい奴だったら、
1億2500万人いる日本だと125万人くらいの人がおかしい人で、
アメリカだと3億人いるから300万人くらいがおかしい人。
もっと小さな確率で、
1万分の1の人が狂気的に人を殺すような人であったとしても、
日本だと1万人くらいが当てはまる。

そうやって考えれば、これは例外中の例外の人の犯行であって、
考えても仕方のない話、ということになります。


でも、本当にそうかな。

いろいろ検証しないといけないことはあるとは思うけど、
なにを考えるべきなのかは眠たいから省きます。


でもでも、
この話の主体である、先生やもしくは一般の人が、
どうして狂気的になりえないことが前提なんだろう。

どうして自身が狂ってないっていえるんだろう。

ルワンダの虐殺だって、
ホロコーストだって、
ケニアの暴動だって、
戦争のときの日本人だって、
浅間山荘でのリンチだって、
ホームレスへの襲撃だって、


「戦争だから」と簡単に人を殺して、
もしくはそんな理由さえもなく暴力をふるうって、
狂気的じゃないかな。


それでも、当事者たちにとっては、
それは正解で正義で正常であったはず。
正義をかん高く語ることは、恐ろしいことでもあるとおもいます。


この事件の容疑者を擁護するとかそういうことではなくて、
先生のその数の理論には納得がいきません。

それを英語でいってみたけど、わたしの speachではうまくいかず、
不完全燃焼。
ということでここでつぶやいてみました。

2008年6月8日日曜日

こうりつ的

[2007年8月]

JR新橋駅改札口を出て、50M程進むと路地がある。
そこには大きなパラソルがひとつ、毎日開いている。

パラソルの下には靴磨きの小さなおばあさんがいる。
沢村さん(87歳)だ。
声をかけるとしゃんと背筋を伸ばして、上品にほほ笑んだ。

沢村さんは夫を亡くした後、60年以上靴を磨いている。
私の年齢の三倍近くと思うと驚きだ。
この小さな手で靴を磨き、一人で息子を育てた。
その息子も、停年退職したという。

靴磨きを見せてもらった。
お客が台上に足を乗せると、小さな手に持ったブラシをカチカチ鳴らせて磨いていく。
つーんと鼻につくニスを、ストッキングでさっさとのばした。
靴は太陽の光を鈍く反射させた。

「職人技だ。」
思わず言葉を漏らした私に、沢村さんはもう一度、にこりとほほ笑んだ。
いつの間にか沢村さんのパラソルの前には、5~6人の列ができていた。

「お母さん、いつもありがとう」

ピシッとスーツを着こなした50代程のサラリーマンが、ビニル袋に入れたお茶とバナナを手渡した。

「あんたも仕事、頑張ってね」

満足そうに帰っていく彼の後姿を見ながら、私はお客と靴磨きを超えた、優しさを感じていた。


帰り道、電気で動く自動靴磨き機を見つけた。
値段は一回100円。
沢村さんの靴磨きの五分の一の値段だ。
沢村さんが磨いてくれるよりも速く、美しく、効率的だろうが、その機械の前に立つ人はいない。

効率化が叫ばれていても、人はそこから見落とされるものを恋しく思う。
少しくらい抜けていたり、遅くたっていいじゃないか。
「ありがとう」と言い合えることが何よりもうれしい。

2008年6月7日土曜日

ちち

                                   (2006年夏)

昨日、っていうかさっきまでの6月6日は父親の誕生日でした。
「あ・・・、なにもしてない、やばい・・・」

と思って父の好きなアロハシャツ型のメッセージカードを送ってみました。
電話もしてみました。


ナントナク、
中学生時代以降父親と話すのは苦手です。
というか彼自体が苦手なのです。



勝手で、何でも自分の論理で押し込めて、頭もよく知識もあるから
いつも言いこめられる。


苦手なのです。
いつも避けよう避けようとしてきました。

高校生のときに、突然東京の大学へ行きたいと言い出した私に、
「お前はすぐ人に流されるから、東京の大学に行ったら
きっと東京で就職してしまうんだろうな。」
と、いやみをいわれて、


(なるほど、そうしよう。・・・絶対、家になんて帰るもんか。)
と心に決めました。


でも、実はわかってるんです。
父が苦手なのも、
父から離れたくて東京へきたのも、
父をかなり意識しているから。
うーん、あんまり言葉にしたくないけど、尊敬しているから。
絶対負けたくないと思いつつ、彼の存在を越せないことを認めたくないから。



最近、かなり私のことを話すことができた新しい友達に、
「君の壁は父親だね」 といわれたけれど、

うん。
知ってた。
って感じだし、なんだか当てられてうれしかった。
って言うか思わず泣いちゃったよ。

むーー

とりあえず、
お父さん、お誕生おめでとう。
実家に帰るたびに歳をとっている姿が目に見えるので、
父も歳をとるのかぁ・・・と実はビックリしています。
長生きしてください。

2008年6月5日木曜日

おにぎりの自由

                               (2006年9月キスム)

ケニアで昨年から今年のはじめにかけて起こった暴動。

あれは一体なんだったのか、
どういったものだったのか、
現地で撮られた映像を見ながら考えるイベントへ行ってきました。


マスコミに流れた映像ではなかったから、ショッキングなものばかりでした。
鉄砲で撃たれた人の頭から脳がどろどろ出てきていたり、
安置所に死体が山のように詰まれていたり、
警察官が民間人に銃を向けていたり、
銃で撃たれたおばさんが血を流しながら病院へ歩いて向かっていたり。


私はだしてもらったおにぎりを少し食みながら、そんな映像を見ていました。
私がアフリカに興味をもったのは、
94年のルワンダ虐殺を描いた映画「ホテルルワンダ」を見て、
自分がアフリカについて、世界について何も知らないんだなぁ、とショックを受けたからでした。
それでアフリカへ行ってみたわけだけど、
やっぱり、私とは関係なーいみたいな、まるでテレビのドラマでも見るような雰囲気で、
結局はおにぎりを食べている。


もしも、私が日本に生まれて、大学生になって、ホテルルワンダをみて、ケニアへいけたことが
ただの偶然で、
ケニアに住み、ただの日常を過ごしていただけなのに、暴動に巻き込まれてしまった子供たちや、
レイプされてしまった女の子たちがただの偶然でそうなったとしたら、

私が持っている自由ってなんなんだろう。


おにぎりの自由。
というよりもおにぎりを食べてるだけの私の自由への疑問。

2008年6月2日月曜日

ウェンディーへの手紙

「僕は今ネバーランドに来ています。
このネバーランドの住民は、ピーターパンのようなコドモの心を持って生きています。
みんな単純なアクション映画に大興奮し、オトナが『くだらない』と思うようなコメディー番組に腹を抱えて笑い転げています。
そして、怒ったら熱くなってけんかして、悲しかったら大声で泣いて、仲直りしたら抱き合って、うれしいときは本当に顔をくしゃくしゃにして笑って、なんかすごく自分に素直に生きているんです。
そんなストレートで熱い感情表現に出逢って、はじめはかなりショックでした。
だって自分は今まで感情を抑えて人に見せないようにしてきたし、それがオトナでかっこいいことだとずっと思ってきたんだから。

でも、ここではみんな素のまま表現しているんです(それが自然だから「表現する」なんて意識もないだろうけどね)。
ここは大地だけでなく、人間まで自然に溢れているんです。

昨日は『キリストの奇跡』というイベントを見に行ってきました。
カンパラの国立競技場に設置されたステージの上で白人の宣教師が奇跡を次々と起こしていくんだけど、本当にビックリしました。
だって、車椅子の人を立って歩けるようにしたり、聞こえなかった耳を聞こえるように治したり、そんなことを大マジメな顔でやっていくんだから。
しかもそんな『奇跡』がおこる度に、競技場を埋め尽くす観客は、感性を上げ、泣き、踊り、もう大騒ぎ。
日本じゃ奨学生にも『やらせでしょ』で一蹴されてしまいそうなショーなのに、彼らは見たものを見ままに信じているんです。
彼らは日本の奨学生より純粋なコドモ心を持っているんです。

でも、そんなネバーランドにも外からオトナたちが入ってきます。
そして『ちゃんと時間は守りましょう』『お金は計画的に使わないといけません』『子どもは学校に行って勉強しましょう』と、オトナになるための教育をしようとします。
そんな国連やNGOのオトナたちは、『彼らのためを思ってやているのに、何でわかってくれないのか』と口をそろえて嘆くし、逆にネバーランドの住民たちは『オトナたちには僕らの気持ちなんかわからないんだよ』とよく呟いています。
僕らが小さい頃にやった親や先生とのやり取りと、まったく同じモノがここにはあるんです。
まあそんなオトナたちの努力のお陰で、そのうちこのネバーランドの住民たちも立派なオトナに育っていって、このネバーランドももうすぐ世界から消えちゃうんだろうけど・・・・。

今はまだピーターパンが笑いながら踊りまわっています。
僕は今そんなネバーランドに来ているんです。」
                         (『流学日記』岩本悠より)

28日にTICAD(アフリカ開発会議)が閉会しました。
上の文章は最近友達から貸してもらった本のエッセイの一つ。
著者がアフリカで書いた文章です。
なんだか気にいっているから、アフリカがらみで載せました。

                                  (2006年9月ケニア)